山百合

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2021年10月31日、義父の3回忌の法要で福島県を訪れた。
妻の実家の裏手に信夫山という山がある。
そこに僕の僧侶として生きる原点の記憶がある。
大学4年の夏、妻の祖父のお見舞いに福島を訪れた。その時、妻と二人で信夫山の七曲と呼ばれる登山道を登った。
登り始めしばらく歩くと木々の生い茂る山道に、見事なまでに大輪の花を開く山百合が咲いていた。その山百合の美しさは、今でも鮮明に瞼の裏に焼き付いている。

今年、大活躍した人物の一人に、大谷翔平選手がいる。
僕らは、あの大リーグで光り輝く大谷選手の凄さに感動したり、日本人であることを誇りに思ったり、また、野球をする子を持つ親は、うちの息子もあんな風に活躍しと欲しいなどと思う人もいるかもしれない。
そんな時、僕は、あの薄暗い木陰で、誰に注目されるともなくひっそりと咲く、山百合を思い出す。
誰にみて欲しいという訳でもなく、誰に賛嘆されるともなく、只々そこで音もなく静かに咲く。
僕ら一人一人も、この山の中に咲く山百合のようであればよい。
負け惜しみではなく、人は皆そうなのだ。
あなたが今、口にする米粒のその一粒は、名も知らないお百姓さんの誰かが、丹精込めて育てたお米であろう。
僕らの命は、スポットライトは当たらずとも、誰にも賛嘆されずとも、全ての命は、光り輝いていて、本当にかけがえのない、唯一無二の命なのだ。
それは、信夫山の木陰で静かに堂々咲き誇る山百合のように。

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