一人はみんなのために。

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1月26日、自民党の高市早苗議員らが「国旗損壊罪」を含む刑法改正案の国会提出を要請し、政調会長がゴーサインを出したとの報道。

https://www.sankei.com/politics/news/210126/plt2101260034-n1.html

呆れて言葉を失った。

一つには、未だCOVID-19で日本ならず世界中がてんやわんやなこのタイミングで、9年前にも提出し廃案となったようなものをまた持ち出し、議論してる暇があるのかということに対して。

そして一つには、「国旗損壊罪」そのものに対してだ。

高市議員は
「諸外国では自国の国旗損壊にかなり重い刑罰が科される」
「日本の名誉を守るという国家の使命を果たすには、外国国旗と日本国旗の損壊に関して同等の刑罰で対応することが重要だ」
と主張しているという。

1つ目の「あの子もやってるから私も」という小学生の理屈は捨て置くとして、問題は2つ目だ。

「外国国旗の損壊は罪に問われるのに、日本国旗については規定がない」
と言われると、日本を愛する“普通の日本人”を自負する方々はおそらく
「それはけしからん!日本に対する差別だ!」
などと我が事のように情熱を燃やすのだろうが、ちょっと待って欲しい。

物事は正しく見て正しく思惟すべきだ。

そもそも刑法92条に規定される外国国章損壊罪は国交に関する罪であり、その法益は我が国の国際社会における立場だろう。つまり外交上のデメリットをもたらすから罪となるわけだ。
ゆえに、外国国章損壊罪は外国政府の請求がなければ公訴できないことになっている。

では、日本国国旗の場合はどうだろう?
日本国国旗の損壊を罪と規定し、国民の自由を制限した場合に得られる利益は何か。
考えられるのは「国家の威信」とか「国の名誉」とかそんなところだろう。

法律を作り、違反した自国民を投獄して「国家の威信」を守る…

それが成熟した民主主義国家の姿だろうか?
私にはオーウェル的な全体主義国家のやることのように思えてならない。

「国家の威信」なんてものは真当なマツリゴトができていれば自ずと生ずるものだろう。
法で縛らねば自国民にすら蔑ろにされるような国の威信など守るだけ無駄だ。

そして国会議員の使命は、国民が自国の国旗に敬意を払うことの出来るような政治を行うことであって、決して法で国民を縛り、刑罰をもって敬意を強制することではないはずだ。

高市議員はじめ自民党の先生方には、今一度、自身が掲げる看板に書かれた『“自由”“民主”党』の意味を見つめ直して欲しい。
 

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