俊栄だより 平成25年6月に発行されたものです。
人生のたとえ99%が不幸だとしても
最後の1%が幸せならば
その人の人生は幸せなものに変わる
私たちには、「平等」が与えられています。命を授かり、両親、縁者の養育をいただいて生かされ、自立し、己の人生という「寿命」の時を過ごし、年々老いていく。そして最後には、誰もが迎えるべき「死」を与えられています。これは、すべての人に与えられた「人の道」ですね。
格差とか、勝ち組、負け組などと言いますけれど、それらは人生のいち通過点でしょう。一流大学出て、一流企業に就職したから「幸せ」とは限らないし、中学しか出ていなくても成功者になる人もいる。「人生」って、譬えれば「ジェットコースター」のようなもので、スタートは平らな所からゆっくり進み、しばらくすると登ったり、まっさかさまに落ちたりと、まさに山あり、谷ありの人生のように。それでも最後はまたゆっくりと平らなところに戻っておしまい、となります。
人生の99%が幸せだとしても、最後の1%が不幸ならば、その人の人生は不幸なものに変わる。ともいえます。
最後、きっと自分の歩んできた人生を振り返る瞬間が訪れるでしょう。そのとき、「苦労ばかりの人生だったけれど、それでも幸せな一生だったな。」と思えたならば「すべての時間が幸せ」になります。
すべての人に「思うようにならない人生」が与えられています。思うようにならない辛いことを、不平不満、愚痴で終わらせるのではなくて、喜び、感謝に変えていけるか。が自分に与えられた課題です。
二人の人間が同じ場所から眺めている
一人は泥土を。もう一人は星を。
人生、後半にさしかかってきたら、こんな考え方に切り替えてみたらいかがでしょうか。
終わりよければ すべてよし
「最後は安らかに迎えたいなあ」と思います。では、安心を得るためには、何をしてゆけばよいのか、と考えます。そして、自分の生き方を見つめるようになります。ここで肝心なことは、「他の人と、自分を比べて、駄目出しをしない」ことです。100人いれば、価値観も好みも、経済状態も家庭環境も、100種類あるということです。
「みんな違って、みんないい」のです。自分の人生は、すべて自分が責任を取る、ということ。学校の先生や、勤めている会社の社長さんが自分の人生を作るのではありませんから、まして親兄弟でもない。
自分の 思い 言葉 行ない が自分の人生をすべて創る
「自業自得」ということ、そして「すべては自らに由る」のが「自由」なのです。「これからどんどん良くなるんだ」って前向きな気持ちで星を見るのか、「どうせ良くなるはずはない」と泥土を見るのか、それはすべて自分が決めていくこと,自分の人生は、自分で責任を取るということです。
仏様はこう教えられました。「自己を拠り所にしなさい。他者に依存してはいけないよ」と。
人は「自分の思うようにならないとき」イライラします。そのとき、必ずやることが「相手が悪い」「会社が悪い」「社会が悪い」とイライラさせているのは「他者」である、と。怒り、恨み、妬みの感情は他者がそうさせたのだと。これは「不幸の法則」です。自分の魂を傷つけるだけではなく、健康まで損ねていきます。
自分の「思い癖」を見つめてみましょう。いつも、否定的な考え方をしてしまうならば、その癖を肯定的な思い癖に変えていくのです。
よく言われるのが、「タメ息は良くない」ですが、中途半端に出すからすっきりしないでモヤモヤするんです。ついタメ息が出てしまったら、いっきにお腹がへこむくらい出し切る。「毒が出たあ~スッキリ!!」
ながーい息は 長生き になるのです