35才のとき私は大型自動車免許を取得したが、その時の教官である私と同い年の伊勢さんがごく最近韓国に渡航。目的は観光だと言う。いわゆるこのご時世にだ。
私は伊勢さんの性格を知ってるからこそ、立派なものだと思った。伊勢さんは韓国で色々な観光地をめぐり歩きそして韓国地産のうまいものを食べ、うまい酒を味わってきたらしいが、何度も言うが日本のメディア一斉嫌韓一辺倒のただ中に行ったのだ。そして渡航後政治的、或いは自分の思惑を一切述べ語らず。
本当に心から感心するばかり。
さて、作為的な情報のみが国民に知らされるのは、どの国でもどの時代でもそれこそ一貫されてきていることは歴史家の考察が示すところ。今さら私ごときが反論すべきものでない事実。現在の日韓報道だけが例外なはずが無い。であるから、毎年絶える事無い国家間の懸案事と国民間の交流事は常に別離してしまわねば、国家係争事が即国民間の係争事になってしまう。それだけ国家同士の関係性は、我々一国民安易にが口を挟めるような次元とは違う高度な国家戦略のもとで運営されてるのだろう。
この度における日韓両国の係争事発端の真相はどうあれ、互いの国の各メディアが日本の為、韓国の為に良かれと思い恣意的な情報を国民に伝えているというところも我々は心得ていかねばならぬというのが私の意見だ。歴史の事実の擦り合わせで両国の関係は挫折しているようだが、それと同じ挫折が日韓併合時の過去の事のみならず現在進行形で今尚起こっているのだ。
ここからが私独自の意見となるが、我々は他国非難自国擁護一辺倒の報道や書籍文章の類いのそれは、真実であっても真実と受け止めるべきではない。
書籍でも報道でも他媒体であっても、一度各事態を報道側が咀嚼したものを、文面に再度吐き出して我々に伝えているのだから、報道側主観の潜在的改ざんが行われないはずが無い。
善意(国民の為に良かれと思う報道者の気持ち)であっても、報道には多少なりとも嘘が含まれているものとして、私たちは情報を受けとるしかない。自分の見解や心は自分で守るしかないのだ。
少しの偽り事がやがて招かざる大災厄を連れてくるもの。遠い目的地に向かう時の一歩目が目的地との方角と多少ズレていた場合、そのまま気づかず真っ直ぐ進んで行くならば歩いた距離が大きければ大きいほど目的地から程遠い場所にたどり着くのと同様である。メディア媒体の意見において優れたように見える意見文面であっても、そこにはきっと真実とは言い切れない人為的な歪みは有るだろう。そう心得て情報を取り入れることを怠らねば、自分の心が間違った見解に見入らることも少なくなるだろう。とにかくどんな場合であれ、メディアの意見は鵜呑みには出来ないものなのだ。
であるからメディアの嫌韓一辺倒に追随して、我々一般的家庭人が嫌韓意識を持つことは本当に愚かしく恥ずべきことである。
会いもしない話したことも無い日本人韓国人同士が嫌いあうもどかしさを感じてる人は非常に多いと思うが、また一人の日本人として自分も嫌韓者側の当惑がわからぬではないからこそ、伊藤さんの行動を見て、自分も『 斯くあるべき 』と思い至った。
金額的には、韓国訪問は道民からみれば他県への国内旅行と同等か廉価なもの。
伊藤さんはアクションして韓国の人と交流し、そして敢えて政治的国民の関心事に黙す。
これは、格好いい。
対照的に、
目にし耳にいれた文面的情報(メディア報道も元は文面)を手形に無責任に自分の思いを吐露して、会った事もない他国人の非難をする人は、私にはあまり良いことをしてないように思われる。たとえ善意から発起した行為であったとしてもだ!(仏教徒は「悪口{あっく}」を徹底的に断たねばならぬと仏さまは教示されている。悪口を用いると、加害被害関係にない人の心さえ険悪にするからだ。仏さまの言われた通り、現在日韓両国は、何故か戦争当事者でない若者同士が過去の戦争を論点にして罵りあうという、非常に愚かで浅ましき険悪な様相である。)
どんな場合の主張であれそれぞれの国民が各個人意見として発信してるネタ元は、だいたい文面物(何度も言うがメディアも文面物)なので、やはり情報発信側の限定的または限界的視点などから、情報受け手側の誤解を発端とする係争の禍は絶えず招かれているのだろうし、日本の現状を見ても国民の冷めやらぬ悩熱というものが何か事が起こるごとに状態化するならば、極論すると日本がこの先再び開戦国にもなり得るという危惧を私は抱く。
歴史とは戦争禍のことであり、その禍が何千年も人類間で繰り返されてきたのである。これからの日本や世界の国々が例外的に過去の歴史の禍を繰り返さないはずが無いと考えるのは筋の通った話である。私たちは戦争回避の為に相当な努力をしていかなくてはならない。次大きな戦争が起こったら世界は跡形も無くなってしまうからだ。
相手にちょっと誤解されているからって何だ。
人間同士、互いに交流を深めればどんな誤解も打ち解けられる。
それが未来思考というもの。
未来思考は人と人との交流そのものと言って良い。
真に平和を望むならば、翻って日常日頃からの人付き合いを身に染みて覚えるしかないのではないか。他国の悪口ばかり言ってる場合ではない。日本人の足元だって相当危ういものである。古き良き時代の家族間の繋がりなどもう過去のものだと思っている人も多いのではないか。肉親の遺骨なのにその管理に責任が持てない、或いは関心すらない輩が増えている現在の日本。日々満たされない生活の不満の捌け口に他国の事をあげつらっているのは我々日本人の方かもしれない。現在の偏重報道をステレオタイプに述べたりSNSに投稿して、日本の老若男女はすっきりしてる場合ではないのである。
交流や交際には大変なこともあるが、人と人との交流が招く未来は必ず明るいものであると私は思う。そんな事を伊勢さんの訪韓旅行によって私は気づかされたのだ。