暑いものは暑い、寒い時は寒い

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私は今、お盆の法務の為関東に来ています。

毎年のようにこの梅雨明けになると猛暑日が続き、道民の自分にはちょっと辛いお勤めになります。

10年前は汗も良く出たので、汗をかくことで身体がよく働くようになり暑い日がむしろ好ましかったのですが、最近は汗が出にくくなり関東の蒸し暑さに参ってしまうようになりました。

坊さんなんだから、暑いだの寒いだのというんじゃないと言われそうなのですが、坊さんだって普通の人なんですから暑さ寒さに弱い人もいます。

好き嫌いも誰だってあるもの。ヘビやカメやカエルが好きな人もいれば、犬猫が好きな人もいる。元々動物が好きでなかったのに、お父さんお母さんが動物好きで飼っていたから好きになったという人もいるでしょう。

仏教では、個人差の原因を示すことばとして根性欲という語があります。

根は、生まれもった才質。
性は、生まれもった性質。
欲は、生まれ育った環境。

この三要素が複雑に絡み合って、人の性格や、好き嫌い、得手不得手などの差が出来ると仏教ではそう説くのです。

さてでありますが、あなたはあなた、自分は自分と思い、自分と人の等差に目を付け互いに垣根を作ることをあえて良しとすることが悟りではありませんよ。世間にはそういう考え方もあるようですが、それは便宜上の仕方なくという段階的人間観で、いわば方便的な立場の方であります。
その等差の原因は何であるのかとしっかりと見極める仏教的観法を習熟させること無しに真の差別的世界の解消はあり得ません。人同士、或いは世界の森羅万象同士が対立するように見えるものでも、それぞれの間にあってそれぞれを結びつけるものに目附をすることが大切です。

例えば身体の血の流れで言えば、心臓も末端の血管もどちらも必要な器官。しかし、末端まで血を巡らせるためには、血を送り出す中間器官の弁のような仕組みがあるから心臓も毛細血管もお互いに機能するのです。弁という調整器官は、私自身の見解としてですが、本当にすごいものと思います。

心臓が偉いのか末端の血管が人を真に生かしているとか言い合う二元的な考え方が本当に怖い。とにかく、極端なものの考えを考え直させるのが仏教の役目のひとつです。

目の届きづらい尊いものに目を付けることが、仏教という教えの役目であります。

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