法華寺縁起(2)

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明治19年10月5日に根室支庁より認可を受け、法華寺の前身として誕生したのが法華堂です。松井日祥上人は根室より隔月来村教化に当たり諸堂建築成就のため女人講・護法結社を組織。信徒の丹精実を挙げ勧募金1363円余。再出願の公許を得て翌年明治20年法華堂着工、翌21年7月31日落成と相成る。境内の広さは625坪・堂宇50坪であった。日祥上人、堂宇を守って明治22年8月20日に退き、同25年10月1日小山智信上人(智信院日儀)正中山法華経寺より派遣される。日儀上人、伝道に勉励し信徒の育成大いにつとめ112戸の外護の徒を育成。寺基確立し明治28年8月寺号公称を出願。同30年3月25日付(北海道庁令第1031号)許可。3世日儀上人が実質的な開基・開山といえよう。3世智信院日儀上人は群馬県甘楽郡富岡本城寺本田穏静上人の徒弟。明治38年まで在職。同年から大正4年まで獅子原昌音上人第4世。大正4年から同12年まで獅子原善量上人第5世。大正13年から同15年まで鈴木顕成上人第6世と次第継承。第7世波岡啓順上人昭和6年から10年まで在山。その後波岡智穏上人が第8世となり昭和15年境内を整備し同27年霧多布説教所を閉鎖して本堂・庫裡百坪改修。同45年改修。46年位牌堂新築。50年庫裡新築。55年庫裡増築と工を重ね寺観を一新する。現在は9世波岡玄智上人が法灯を継承しており、近年主に本堂大改修ならびに境域内の造園等を大幅に手掛け達成し今日に至る。

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