仏の種(2)

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仏になる種を「性種」と「乗種」に分けます。性種というのは生まれながらに持っている種です。私は自分の子どもを見て不思議に感じたのですが、母乳やミルクしか口にしてない乳児がどうして粥やバナナなどの固い物を食べようとするだろうかと本気で疑っていました。ところがやがて子どもが少し大きくなったのでおそるおそる口まで粥を運んでみたら教わってもいないのに咀嚼してそれを呑み込もうとするではないですか。このような教わりもしないのに時節が来れば自ずから発揮する力のこと、この性質を性種と言います。しかしいつかその性種なる性質の種は発芽するとはいえ放っておけば未熟な芽のままであります。私たちが持つ性種なる仏の種も畑に植えられた種と同様に水や肥料の恵みを受けなければ立派には育たないのです。すなわち性種にとっての水や肥料とは仏さまな教えになります。お釈迦さまの教えの事を乗(じょう)と言いますのでこの仏の教を信じることによって性種が育つ性質を乗種と呼びます。

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