「島原大変 肥後迷惑」という言葉があります。
西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の犠牲者といわれる
災害から明日で221年。
手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
その中で、島原藩が建立した供養塔が半島内に7つあります。
1月に半島1周行脚をした折、うち3か所はわかっていたので
途中お勤めしました。
いずれも彫ってある文字・字体が同じです。
先人たちが、供養のために建立したのはもちろんのこと
後世に伝えるためでもあります。
あとは、自分たちがどう受け止めるか。
先人たちの想いを胸に、残り4か所も今後調査したいと思います。