去る6月3日は、普賢岳火砕流災害から丸21年。地元の若手青年僧「普賢会」のメンバーは、被災地周辺の慰霊行脚を行った。私自身、法務の関係で行脚には参加できなかったが、
一足先に、多くの犠牲者が出た通称「定点」といわれる場所で、お勤めを行った。
定点とは、当時火砕流の撮影ポイントであり、取材ポイントであった。そのため、犠牲者の多くはマスコミ関係、それに伴うタクシー運転手、警戒に当たっていた地元消防団である。
この災害を機会に、災害時における取材のあり方が見直されたのは言うまでもない。
もう、21年もたつので人もそんなにいないだろうと思っていたが、その場所にはテントが張られ、マスコミ関係者、地元消防団、地域の方々がお参りされ、献花やお供えも沢山あった。
月日が経つと、人間忘れ去っていくのが常である。多くの人が想いをもってお参りされる姿を目の当たりにし、こちらもお勤めの声に力が入った。
当時、高校生。バスが通わず、船で通学し、ヘルメット持参し降灰の中を通っていた。僧侶として活動する現在、単なる思い出ではなく、慰霊はもちろん、当時のことを伝えていかなければならない。災害は忘れた頃にやってくる。先師・先祖の想いを無駄にしないためにも、現代に生きる私たちの心持が必要だ。