いのちの使い道

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お盆の夏、いかがお過ごしでしょうか。
お家に帰ってきたご先祖さまを、有縁無縁の精霊の方々を、家族や親戚そろってみんなで笑顔で「おもてなし」できていますか?
さて、今年のお盆は例年とは少しちがう、特別なお盆でもあります。
今年の8月15日は終戦から70年の節目の年を迎えるのです。
日蓮宗では、昭和34年以来、毎年8月15日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、戦争で奪われた尊いいのちを追善供養するとともに、立正安国、世界平和の祈りを捧げています(写真)。
世間では「平和」に関する法律の問題で様々な議論を騒がせているようですが、確実に言えることは、「いのちは尊い」ということです。
 
命と申す物は一切の財の中に第一の財なり(日蓮聖人『事理供養御書』より)
鎌倉時代であろうと、戦時中であろうと、平和と呼ばれる今の世であろうと、どんな時代にあっても、「いのち」はいつも一番大切なものです。
「いのち」より大切なものはない、だからこそ、その大切な「いのち」を何のために使うのか、その生き方が問われます。
私たちの心の中には、仏の心から地獄の心、餓鬼の心まで様々な心を持っています。
人間には水に見えるものが、天人には「宝の池」に、餓鬼には「血の川」に、魚には「家(住み処)」に見えるように、同じものでも見る者の心によって様々に変わるのです。
この世界も同じ。
すべての人が仏の心をもって過ごすことができたなら、きっとこの世界は幸せな社会になるでしょう。
しかし地獄・餓鬼の心をもってこの世界を見てしまえば、たちまちこの世は苦しみの世界に変わってしまうでしょう。
「いのち」を輝かせるには、いつも仏の心でこの世界を見つめ、行動することが大切です。
お盆は、先の世代から今の世代へ、今の世代から次の世代へ、継がれる「いのち」を再確認し、自分が「今ここ」にいるルーツを知り、家族の絆や繋がりを体感する大切な日でもあります。
先の世代から今のあなたへ、受け継がれた「いのち」。
たくさんの人たちの愛と優しさが詰まっている、あなたの「いのち」。
さて、その「いのち」どう使いますか?

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