見えるもの、見えないもの

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「ここに雲が見えます」
 
ある僧侶が、一枚の紙を聴衆に示して、こう言いました。
 
はて?
聴衆は何も書かれていない一枚の紙を見つめながら、不思議な気持ちで僧侶の言葉に耳を傾けます。
 
「もしあなたが詩人なら、この一枚の紙の中に、雲が浮かんでいるのを、はっきり見るでしょう。
なぜなら、雲がなければ、雨が降ることはありません。
雨がなければ、樹は育つことができません。
そして、樹がなければ、私たちは紙を作ることができません。
つまり、雲は紙が存在するためにはなくてはならないものです。
もし雲がなければ、この一枚の紙は存在することができません。」

「だから、私にはこの紙の中に雲が見えるのです」
 
これは、「エンゲイジドブッディズム」(社会参加型仏教)の提唱者として知られるベトナム僧、ティク・ナット・ハン師が語った有名なお話です。
あらゆるものが関係して一枚の紙は存在している。
そして、この紙を見ている自分自身もこの紙の中にあるのだから、自分と関係のないものは何一つないと。
仏教の「縁起」(えんぎ)の教えを、一枚の紙であらわされたのです。
「茶柱がたつと縁起がいい」とか「黒猫を見ると縁起が悪い」とかいいますよね?
でも本来の意味はそうではありません。
 
アジサイの綺麗な季節になりましたが、例えば、道ばたにアジサイの花が咲いていたとします。
この花は、種(因)があっても、土や水、太陽の光、種を育てた人などの条件(縁)がなくては、美しい花(果)を咲かせることはできなかったでしょう。さらにアジサイを見る人に感動を与えること(報)もできなかったことでしょう。
 
ものごとには必ずそれが起こった原因があります。その原因に縁が加わり結果が生じます。
このように、この世界のすべてのものは関わり合って存在しているのだというのが、「縁起」の教えです。
他との関係なしに存在するものなど何一つありません。
こう考えれば、この世のすべてがお互いの関係のなかで数え切れないほどの縁によって支えられ、自分が生かされている存在であることに気づくことができるでしょう。
また因と縁が関わりあって起こるということは、ものごとは自分次第でどうにでも変えることができるということです。
 
そこで大切なのは、「相手を変えよう」と思うのではなく、「自分を変えていく」努力です。
すべてが縁起によって成り立つものだと知ることができたなら、自分以外のものへ優しさと思いやりの心をもって接し、一つひとつの出会いを大切にすることができるでしょう。
自分自身が良い縁となっていけば、どんな人と出会ってもすばらしいふれ合いができます。
 
忙しい日々を過ごしていると、ついつい私たちは、いろいろな関係の中に生きていることを忘れて、自分と他人を区別し、自分に関係があると思うことだけにとらわれてしまいがちです。
しかし、そんな時こそ、この一枚の紙に雲を見れば、自分をつくっている様々なつながりに思いを馳せることができます。
 
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(『星の王子様』より)
 
そう、大切なことは、目に見えないものです。
 
それを忘れてしまいそうなときは、一枚の紙を手にとって、その中に雲を見るようにしてくださいね。

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