みんなで傘かしげ

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先日、混み合った電車に乗ってた時のこと。 
肩がぶつかった二人の男性が突然怒鳴りあい、殴る蹴るの大ケンカに。
片方をある男性が、そしてもう片方を自分が押さえ、アイコンタクトで二人を別々の車両に連れていき、次の駅で話し合ってもらうことになりましたが、いざ次の駅に着くと片方が頑なに降りようとせずにまたケンカに。 周りに大迷惑、となりました。
身体がぶつかった程度のちっちゃいことでケンカになり、周りに迷惑かけるなんて、怒りを通り越して、寂しいなぁと思いながら家に帰っていきました。 
 
みなさん、「傘かしげ」って言葉を知っていますか?
「傘かしげ」とは、道ですれ違うときに、傘と傘がぶつかったりしないように、また傘の雨露が相手に落ちないように、相手と反対側にスッと傘を傾けることをいいます。 
相手を敬い、思いやる心から生まれた「傘かしげ」は、現代にも通じる粋なしぐさ。 
同じように「肩ひき」「腰うかし」って言葉もありますが、お互いがお互いを気遣い、みんなが良い気分で毎日の生活を暮らすための 江戸時代の生活マナー「江戸しぐさ」の一つです。 
この「江戸しぐさ」の根本には仏教の精神が流れていて、こんな言葉があります。
 
「人はみな仏の化身と思え」
 
私たちは先祖代々、数え切れないほどたくさんの人たちから、命を継いで生きています。今ここにあるのは、仏さまやご先祖さまのおかげ。
すべての人はその仏さまを心にもっています。
誰でも優しさと思いやりの心、すなわち仏の慈悲の心をもっています。
私も、あなたも、あの人たちも。
袖すりあう人みんなにその心が息づいているはずです。
出会う人はみんな仏さまだと思えば、親近感を感じて優しい気持ちになれるでしょう。
だからお互いに助け合い、いたわり合うのが当然だと考えて江戸の人たちは生活を送っていました。
これは「人はみな仏になれるがゆえに敬う」(但行礼拝)という、法華経の精神に通じるものでもあります。
この教えが江戸しぐさのベースになっています。
毎日、限られた国土の中でいろいろな人が生き、歩き、すれ違い、過ぎ去っていくなかで、同じ時代に生まれ、同じ日本で生活し、同じ場所ですれ違うなんて、それだけで奇跡。ものすごい確率。 
でも、見知らぬ人とすれ違うのは単なる偶然ではありません。すべては縁で繋がっています。
「袖振り合うも多生の縁」っていうでしょう。 
梅雨入りし、雨の日が続いています。
スッと傘を傾けると、すれ違う人もハッと気がついて傘を傾けるものです。
道すがら、すれ違う人たちの心の交流が一瞬でもあれば、雨降りの日の気分も清々しくなります。
相手がやらなくても、自分だけでもさりげなく「傘かしげ」してみてください。そういう良い気配りって、伝染しますから。
みんなで傘かしげ。
とっても気持ちいいものですよ。
ジメジメした梅雨だからこそ、気持ちは優しく、心地よく過ごしましょう。

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