『共に生き共に栄えて、みんなが笑顔。内膳さんのまちづくり、花咲く米子!みんなの米子!!』
明日は当山、妙興寺のお会式です。「お会式」とは宗祖日蓮大聖人の御命日に、私たちにお釈迦さまの素晴らしい教え「法華経」を伝え、お題目によって人生を乗り切ってゆく道を示してくださったことに感謝する法要です。
妙興寺では、宗祖のお会式にあわせ、この米子の街を創り上げた横田内膳公の業績を讃えて「横田内膳公忌」をおつとめ致します。
内膳さんは、足利将軍も凌ぐ大大名、三好氏の一族に生まれ、若き頃は三〇〇騎を率いて城を取り返す豪将。しかし親族相争う一族の滅亡に遭遇。岸和田の蛸地蔵の伝説の如く、縁あって秀吉の重臣「中村一氏公」に仕官。
その後の立身出世の物語は、近江八幡の街づくり、東海道随一の大都市・駿府静岡の治政、徳川家康との丁丁発止の策によって、主家を関ヶ原の勝利に導くなど、一晩中でも語りつくせぬ波乱万丈の生涯。
米子へは、孤児となった嫡子・忠一公に夫婦寄り添ってやってきました。加茂川を運河として街道と結びつけた商都の建設は、主家中村家だけでなく、近郷近在の多くの民衆の「幸福と安心」笑顔を呼び戻す結果となりました。
「逃げた米子で花が咲く」ここに来れば誰もが仲間、一緒にやらいや!このフレーズは自然に人々の合言葉となったはずです。
織田信長の楽市楽座を、秀吉の街づくりのノウハウを活かして、寺社や土豪など旧来の既得権益を打ち破り、人々に笑顔を!
この内膳さんが、20歳の時、堺妙國寺の日珖聖人に受法された、お題目の熱心な信者であったこと、これも「共に生き共に栄える」怨親平等の法華経の教えが根底にあったことでしょう。
内膳さんの、この気持ち。米子の人々に思い出してほしいのです。明日のお会式、しっかりお勤めいたします。