何かに導かれるということ。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

昨日、鹿児島の中村家のご当主、中村郁夫氏と、徳島の「三好長慶会」代表、出水康生氏がご来山されました。

数年来、度々遠路おいで頂く中村氏が、「今日は徳島の豪傑をお連れしました。」
相手の心を掴んで離さない鋭い眼光と、豪胆な語り口に潜む多岐にわたる見識の高さ。
お二方とも、戦国武将を彷彿させるご器量の持ち主でありました。

「いつまでも信長秀吉家康でもない」「内膳の奥さんを祀る寺は・・」「三好の理世安民の崇高な理念は、見直されねばならない」「家康の人の力量を見抜く力の原点は・・・」次から次と湧き上がる情熱に、時を忘れて魅了されました。

「今日は徳島からの道中、とてもよい天気で、きっと(内膳公も)喜んでくれている」
お二方とも、そうおっしゃいました。

「文化財になっている内膳の遺品をぜひ見たい。」
旧主三好、中村両家ゆかりのお二方に相対して、内膳さんもさぞ御満足でありましたでしょう。

この現世で生きる我々には解らない、同じレールに乗っている。
横田内膳さんのことが深まるたびに、お題目の「ご縁」に感謝しております。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ