あんなことこんなこと 7月号

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「お墓参りをさせて頂きたいのですが」
「どうぞ、どうぞ…」
そんなことからドラマが始まったような気がします。
 
「祖父ですが、大正八年に亡くなっています。かつて母と昭和三十七年にお参りしたと思うのです…。」
この土地も菩提寺も分らなかったのですが、ふっと思いついて備前市役所に尋ねたら、「わがまち浦伊部」をご紹介下さいました。
県立図書館に問い合わせると、私が知りたかった事が一冊の本になって送られて来ました。著者の方が親切に色々な事を教えて下さいました。それで今ある兄弟姉妹でお参りが叶ったのです。
 
百年も前に亡くなられた方のお墓参りをしようと思われた背景にはきっと色々な事があった事でしょう。
おばあさまやお母さまがきっと故郷の事を子供たちに言い聞かせながら、お育てになられたのだと思います。
実際私が知らないこの浦伊部の風景をお話下さいました。
近くの海で潮干狩りをして遊んだ事や裏山で松茸狩りをした事を伯母さんやお母さんから繰り返し聞かせて貰ったそうです。
内陸部にいらしたので、海自体が珍しく、まるでメルヘンの世界のように思え、早く連れて行ってとせがんだりもしましたとお話下さいました。
結局実現したのは、昭和三十七年で中学生と小学生だったそうです。
「その折りのものです。」
とおっしゃって片上鉄道の切符を四枚並べられました。
「これが母、これが伯母、これが姉、これが僕の切符です。」
「母の遺品の中にありました。」
 
ああ、何ということでしょう…。
こんな事があるのでしょうか…。
 
時間を越え、距離を越えて、今目の前で繰り広げられている事は一体…。
東京関東地方・北陸福井とあちこちに生きて来られた方がお集りでした。
お墓が皆さんをここに呼ばれました。お墓の主の意思が、まさに生き続けてきたからこその事でしょう。
そしてそれを受け取る力を、子孫の方々がちゃんと蓄えて下さっていた。
 
人間の魂は、時を越え空間を越えて繋がります。どうぞお曼荼羅の世界をそういう風に受け止めて頂ければ幸いです。
福井からの350キロがこんなに近いものだとは知りませんでした。せめて母の生きている間に叶えられれば良かったのにと悔しくてたまりません。
 
平成二十六年七月

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