海上交通安全祈願祭 海難事故慰霊追善供養

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令和3年10月11日(月)9時
牛ヶ首島 日蓮大聖人 涅槃像の近くにて、宗務所長を御導師にお迎えし、修法師会長を筆頭に20名の僧侶が結集し、瀬戸内海や日本海、世界の海の海上(海中)交通安全祈願祭、海難事故により亡くなられた方(物故者)の慰霊祭をおこないました。

以前は道があったであろう場所に、草木が背丈以上に生い茂り、残念ながらこの度は、涅槃像へたどり着くことはできませんでした。
住職のいない寺社仏閣の荒廃がすすんでいます。
全国で、公共施設やビル、家を建設したが、使うことなく、放置し、劣化している建物を見かけることが多くなりました。
お経をよまない、お参りのない墓地や霊園、永代供養塔も同じです。
10年以上前、はじめて観音寺に来た時も草木が背丈以上に生い茂り、人気のない寺院でした。
維持管理の大切さにあらためて気がつかされました。

牛ヶ首島 日蓮大聖人 涅槃像とは…
1912年 山陽新報(山陽新聞の前身)の創始者で牛ヶ首島の所有者 西尾吉太郎が、亡くなった娘の供養に涅槃像を作ろうと、敷地3000坪を寄付したのが始まり。
竣工式典には、日蓮宗はじめ、法華宗管長、海軍大将 東郷平八郎元帥が参列。
1913年 工事が開始、関東大震災や満州事変、大東亜戦争により、計画は数年で中断してしまう。
1953年  西尾氏の孫の佐藤恒太氏が遺志をついで再建に乗り出すが、顔部の80%を完成させるも、事故により作業を中止。
この涅槃像は高さ8.5メートル 長さ12メートル 完成していれば全長75メートルの予定だった。

牛ヶ首島へは、宇野港より海上タクシーで10分ほどです。
涅槃像は、天空の鳥居よりも、険しい場所にありますので、ご興味のある方は、海上や対岸からお参りしてください。

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