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日蓮聖人逗留の寺

子授けパワースポット 常照寺

【Jyakunizan Jyoushouji】

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雪山童子

本堂の片隅に書棚があり、そこには先代住職が蓄えてくれた仏教の解説書やら日蓮聖人の御遺文の解説書やら、仏教説話集など多くの立派な書籍がずらりと並んでいるのですが、いかんせん活字嫌いな私がこれらの書籍を通読するはずもないのです。非常に勿体ない話ではありますが・・・。しかしながら、先日そこの一冊を手に取り、何気なく無作為に開いたところにこの物語が記してありました。丁度その日の朝勤で拝読した「日妙聖人御書」にある雪山童子の話です。

 

日蓮聖人は『日妙聖人御書』、『松野殿御返事』をはじめとする多くのお手紙等に、『雪山童子の死身求法の物語』を説いておられます。身を捧げても成仏の法を求める求道者の話です。抜粋ではありますが、ここにその話を紹介させていただきます。

 

むかし、雪山に雪山童子と呼ばれる求道者があった。彼は人々のためになることなら、どんな苦労をもいとわないで、自分自身を犠牲にして、いろいろの苦行をした。そんな風であったから、あらゆる事情に通じて人生の表や裏のことは見抜いていた。それゆえ、生死の苦悩とはどんなものか、をよく知っていたから、たとい大地や大海にどんな宝があっても、そんなものには目もくれず、塵やつばきでも見るように無関心であった。彼はただ道を求めるために、財産も妻子も住まいも、召使いも、すべてのものを捨てたばかりか、時によっては自分の手足をも捨てる覚悟であった。また彼は、この世を捨てて天上の世界を願うわけでもなく、ただひたすらに道を求め、悟りを開いて、生きとし生けるものとともに真の楽しみを味わいたいとねがうのであった。

しかし、帝釈天は雲山童子の法を求める態度について、その決心の程度に疑いを持っていた。帝釈天の思うには、「世の中に仏が出れば、すべての悩みごとを除き、多くの人々もそれによって、限りない幸福を得ることができるであろう。が、しかし事実においては、道を求める人はあっても、仏になり得るものは絶対にないといってよいくらいである。善心をおこす者は限りなくあるけれども、わずかな故障に出会うと、すぐその善心が消えてもとの心になってしまうのが普通である。ちょうど水中の月が水の動くままに揺れ動くように、あるいはまた、名画のなるは難くやぶるはやすきがように、善心もまた、おこすは難く、そしてやぶれやすいものである。多くの人は、よろいや杖をもって身をかため、ものものしいいでたちで賊の討伐に向かうけれども、いよいよ敵陣にのぞむと恐怖にかられて退却するものだ。世間の人々もまた、堅い決心をもって善心をおこしたかと思っていると、生と死の苦しい境に出会うと、その善心はいつしか消えてなくなっているというのがよくある例である。だから雪山童子の苦行といっても、今はなんの苦悩もなく、清浄の行に精進しているけれども、どうも信ずることはできない。一つ雪山童子の心を試して、果たして悟りの道にたえ得るかどうかを知ろう。車に二つの輪があるからこそものの用にも役立つものである。また鳥に翼があるがゆえに鳥は飛ぶことができるのである。行者もまたそうである。戒めを持つことはいかにきびしくとも、その人にほんとうの知恵がなけれ
ば結局なにもならない。福と知恵というものは車の両輪のようなものである。またたとえていえば、親魚がその胎内には無数の子を持っているけれども、それが一人前の魚になるのはきわめて少ない。それと同様に善心をおこす多くの人々は数えきれないほど多いが、それを完成さす人はほとんど少ないものである。純金は三種の試験を経て真疑が定められると言われている。焼いて見ること、打って見ること、磨いて見ることが、それである。いま雪山童子もまた、この三つの方法で試して見よう。」

帝釈天は、見るも恐ろしい殺人鬼の羅刹に身をかえて、天の住まいから雪山へと下って来た。そして苦行しながら求道している雪山童子のま近くまでやって来て、そこで立ち止まった。もとより心におそれるものがなかったので、強く壮健で、しかも清らかでみやびやかな弁舌な才能をもって雪山童子は応対した。

「諸行は無常なり、 これ生滅の法なり。」

と、怖るべき形をしたこの悪鬼は、過去世の仏が説いた偈文を声高らかに説いた。苦行者はこの半偈を聞いてその心のよろこびをおさえ難くおぼえた。それは旅人が深山で連れを見失い恐怖に襲われながらも連れをさがして、闇夜に迷っていたが再び連れに出会うことができたように、また海に溺れた人が思いがけなく船に出会ったように、渇いた人が冷水に会ったように、怨まれ追われた人が急に放免されたように、また家出人が急に帰宅したように、苦行者の心の喜びはそれにも増して大きなものであった。たしかにすべてのものは無事である。ものみな生滅しないものはない。これこそ自分が求めていた道ではないか。「ああ、何んという天の声であろうか。」と彼は思って、いそいで立ちあがり、
「ただ今の半傷の文は、誰が説かれましたか。」
と、あたりを見渡したけれども、あのおそろしい羅刹の外には何人の影も見えなかった。そこで苦行者は考えた。いったい、誰がこのようなありがたい、三界の苦を脱する門のとびらを開いてくれたのであろうか。世をあげて生死界にねむっているのに、ひとり目のさめた人がいて、かくのごとき偈を説いたのであろう。この世の多くの人の中に、この上ない仏の道を教えてくれたのは誰であろう。生死海中の大船師は誰であろうか。世の多くの人々の迷いの病気をいやしてくれる名医は誰なのか。誰が半偈を説いて自分の心に、さとりの光りを投げ、わが心の中にレンゲの花のつぼみを開かせたのは誰であろうか。見渡すところ、ここには羅刹の他に何人もいない。この羅刹が、こんなありがたいことを言うはずはない。してみると、どっかにこの半偈を説いたものがいるにちがいない。その人はいったいどこにいるのであろう。火の中にはレンゲは咲かない。こうこうと照り輝く日の光りの中から冷水の出る道理はないのだ。しかし、一歩退いて考えて見ると、あるいは自分の無知のためにわからないので、実はこの羅刹が説いたのかも知れない。この羅刹が過去において、いろいろな仏様に会い、半偈を聞いたことがないとは言われないだろう。
 苦行者はこのように考え、とにかく恐ろしい羅刹に聞いてみようと進み出て、

「大士よ、あなたはいずれの処で、過去の仏の説かれた半偈を得られましたか。大士よ、この半偈の意味は、前世、現世、来世の三世を一貫して、諸仏世尊の正道であります。この世の生きとし生けるすべてのものは、常に手にとって見るという心の網におおわれて、一生をよこしまな道の中で過ごし、いまだかつて過去の仏の説かれた尊い仏の道に耳をかそうとはいたしません。それにつけても、大士よ、どこで、こんな尊い半偈を聞かれたのですか。」

「大バラモンよ、そんな事は聞いても無駄だ。わたしはもう幾日も食べ物が手に入らないので、断食しているのだ。毎日毎夜、あちらこちらと食を求めて見たが、まだ少しの食べ物にもありつけないのだ。もう今は、飢えと渇きのために、心が乱れてでたらめな文句を言ったのだ。半偈がどうの、こうの、と言われても、わたしの知ったことではない。もうそんなことは口にしてくれるな。それよりもわたしは食べ物がほしいのだ。」

「大士よ、もしもわたしのために、偈文の全文を説いてくださるならば、わたしは終身あなたの弟子となりましょう。大士よ、さきほど說いただけでは字句も不完全だし、道義もつくされておりません。偈文の中途でやめて、その後を説かれないのは、どういうわけですか。世の人々に財産を施すということには限りがありますが、仏の道を教える利益には限りはございませぬ。わたしは半偈を聞いただけではありますが、心から感謝しているのです。どうか、あとの半偈をお說きくださいませ。わたしは終身あなたの弟子としてお仕えいたします。なにとぞ半偈を……」

「大バラモンよ、お前のすぐれた賢さには恐れ入った。しかし、お前は自分のことのみを考えていては駄目だよ。わたしはお前にも言ったように、飢え疲れて、もう半偈を説く気力さえないのだ。もう何も言ってくれるな。」

「大士よ、いったい、あなたは何を食べたいと言われるのですか。」

「そのようなことを聞いてくれるな。お前とわたしの二人の中で、わたしの口から言えないではないか。人を怖れさすような、そんなおそろしいことが。」

「人を恐れさすと言われますが、ここにはわたしの外に何者もいないではありませぬか。わたしは何も恐れはいたしません。いったい、何を食べたいと言われるのか、あなたの口から言ってください。」

「それなら言うが、実はわたしの食べ物は人間の焼き肉なのだ。そして飲みものは人間の生き血だ。わたしはまことに徳の薄いもので、ただ人間の血や肉だけを飲食しているのだ。しかし世上の人々は、福徳をそなえている上に、いろいろと天の守護をうけているので、自分の力では殺して食うことはできない。きょうもきょうとて終日食べ物を捜し求めてさまよい歩いていたが、いまだに手に入らないので飢えと渇きに苦しんでいるところだ。」

「大士よ、話はよくわかりました、後の半偈を説いてください。もしもあとの半偈を聞くことができましたならば、わたしはこの肉体をあなたに差し上げましょう。たとい天命をまっとうしたとしても、死んだわたしの肉体は、いずれ、虎や狼やクマタカやワシに食われてしまうでしょう。それがために何の福徳をも報いられるわけではありません。幸い、悟りの道を求めるために、汚れのこの身を捨てて、穢れない清い身にかえたいと存じます。」

「では何か、あとのわずかな八字のために、お前は肉体を捨てるというのか。しかしそんなことを言っても誰も信用はするまい。」

「ああ、あなたは、なんという浅はかなお方でしょう。瓦の器を捨てて七宝を得ることができれば、誰でも瓦をよろこんで捨てるだろうに。わたしは汚れある身を捨てて仏身を得ようと思っているのです。それなのに、あなたはわたしを信用なさらない。りっぱな証人を立てて見せましょう。おそらく大梵天王や帝釈天、それに四天王がよくこの事を証明してくださるでしょう。また天眼をそなえた多くの菩薩の方々も保証してくださることでしょう。また多くの人々を利益するすべての諸仏も証明してくださるでしょう。」

「お前がそのように言うなら信用しよう。お前が自分の肉体をこのわたしに差し出すというのなら、後の半偈を説いてやろう。」

雪山童子は羅刹の言葉を聞いて心は求道の希望に燃えた。そこで彼は自分の着ている鹿皮の衣服を脱いで法座を設け、

「和上よ、どうかこの座におっきください。」

と、うやうやしく羅刹を請じてその上に座らせ、彼は合掌しひざまずいて、あとの半偈を求めた。

「どうか和上よ、わたしのために、後の半偈をお説きください。」

そこで羅刹はおごそかに半偈を説いた。

「生滅を滅しおわりて、 寂滅を楽となす。」

そして羅刹は、

「大バラモンよ、お前はすでに偶文を全部聞いたのだ。お前の願いは、これで達せられたのだ。さあそこで約束どおり、わたしにその肉体を施してくれまいか。」

と羅刹はせきたてた。

雪山童子は、この半偈を聞いて限りないよろこびを感じた。

「たしかに生滅無常の世にあって、生と滅との対立に漂わされている限り、何を、どうしたとて、所詮は真の安心や真の満足を得られるわけはない。生滅を滅しおわりて、そうだ。生滅の二つを越え、生にも滅にも煩わされない絶対的な境地こそ真実の楽しみであり、真の悟りである。」と。

雪山童子はもとより覚悟の上のことであるから、肉体の供養になんのちゅうちょも要しないが、自分がこのまま死んでしまっては、自分はよいとしても、他の世上の人々のためにはなら

ぬ。なんとかしてこの「諸行無常、是正滅法、生滅滅己、寂滅為楽」の一偈を永く世上に伝えたいと考えて、その辺の石といわず壁といわず、樹や道に、手あたりしだいに、この偈文を書きとどめ、それから死後に身体の露出をおそれて、さらに衣服をつけて高い樹の上に登った。

樹神には何んのために彼が樹に登ったのかわからなかった。

「お前はどうしようというのだ。」

「わたしはこの肉体を捨てて、偈に報じるのだ。」

「たった一偈の十六字のためにか。この偈にそれほどの価値があるというのか。」

「それはそれは尊い偈です。たった十六字ではありますが、前世、現世、来世の三世を通じての諸仏の教えだ。わたしはこの法のために死ぬのだ。利欲や名誉や財産のためではなく、また転輪聖王や帝釈天や大梵天王になりたいためでもない。ただ期する所は、この世に生きる生きとし生けるものすべてのものに利益したいと思う一念で、ただ今ここに身を捨てるのです。」

彼は羅刹との約束によって半偈のために、樹の上から地上へと身を投げた。

ところが、彼の肉体が地上に落ちない前に、途中でやんわりと、これを受けとめたものがあった。それはあの悪鬼のおそろしい羅刹が、もとの帝釈天に姿をもどされて、仏の心をもってこれを受けとめられ、彼を静かに地上におかれた。そしてうやうやしくその前に合掌して、

「ああ、真の菩薩とはあなたのことです。世の多くの人々の、迷いの中にあって悟りを得ない闇の中の人たちに、仏の正しい教えで導くたいまつをともされる外に、何の求めもなさらない菩薩を、わたしが苦しめたのも、言うなれば、仏の教えを愛すればこそであります。どうか、わたしのざんげをお聞きくださいませ。そして未来にお悟りなさいました暁には、このわたしをおすくい願わしゅう存じます。」

と賛嘆した。

この半偈のために身を捨てて苦行求道された雪山童子というのは、今のお釈迦さまである。

この半偈のために、身命を捧げようとされた態度こそ、およそ人に道を伝えようとするものの常に学ばねばならぬ態度である、という霊験あらたかな話である。

(涅槃経第十三)
                                株式会社隆文館 仏教説話文学全集刊行会編
                                                仏教説話文学全集より

 

いかがでしたか?少々長くなりました。

私が日頃檀信徒に話す事の中に『あなたの命は誰のものですか?』という質問があります。

 

答えとして私は『あなたの命は他人のものですよ。自分のものの前にあなた以外の他人様のものです。ですから大切にしましょうね。決してその大切なものを失わないようにしてくださいね。そしてその命と体を立派に極め尽くして他人のために使いましょう。私も頑張ります。』と結びます。

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