法華経信心と運命

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 ここ数年占いブームで色々な雑誌や新聞、または
街中にも占いや運勢鑑定等々がもてはやされていま
す。そんななか先日相談に来られた方がいらっしゃ
いました。そのかたのお話を伺ってみますと、「よ
くあたると言う鑑定の先生のところでみてもらった
ら、良くないことが起こると言われましたが本当で
しょうか」というようなことをおっしゃいます。
 さらに、
「孫が交通事故に遇うと言われました。本当でしょ
うか?」というようなお話です。
 このような話は時々耳にすることです。言われた
本人は、気にはするまいと思ってもどこか引っかか
る。それからは心配で夜も寝られない。時には法外
なお祓い料を納めなさいというようなこともあるよ
うです。
 占いでよく陥るのが、鑑定してもらった人が、鑑
定の結果通りの人生を進まなくてはならない、また
は鑑定の答は変えられないと思い込んでいるという
ことです。しかし、運命というものは決定している
ものではありませんし、変えがたいものでもありませ
ん。
鑑定してもらって良いことが起こると言われても、じ
つとしていてはその福が自分の元にはやって釆ない
でしょうし、悪いことが起こると言われたのならそれ
を避けるべく努力すればよいのです。

 また占いに関わらず、自分の運や人生はこの程度
のもの、これ以上はいくらあがいても変わらないと
思い込んでいる人もいらっしゃいます。努力もせず
にあきらめる方もいらっしゃいます。
 そんなあきらめや、投げやりになりがちな我々に、
日蓮聖人は『可延定業御書』の中で、
 業に二あり。一には定業。二には不定業。
 定業すら慨悔すれば必ず消滅す。
 いかにいわんや不定業をや。

定業とは輪廻転生の行いによって決められる運命
の変えられないもの、不定業とはある程度決まって
はいるけれども変えられるもの。仏教では過去世の
行いによって、現世が決まるというような考えが有
りましたが、その考えを打ち破られたのが日蓮聖人
の法華経信心なのです。
 決定している運命でさえも法華経の信心と反省、
努力によって変えることが出来る、ましてや決定的
でない運など変えられないはずがない。
 日蓮聖人が、法華経の信心によって自分の人生を
切り拓き進んでいくもの、決して変えようのないも
のではないと教えておられるのです。これ以上心強
いお言葉はありません。
 もし、何かの機会に自分の運命を鑑定してもらう
ことがあり良くない答が出た時や、自分の運命を自
分でこの程度のものと思いがちになったときには、
この日蓮聖人のお言葉を思い出して、ご自分の信心
や、ご住職僧侶共々のご祈願、ご供養をお勤めされ
て、その困難を乗り切っていただきたいものです。
一番大切なことは、拝んでもらってこれで安心、
もう全てよしということではなく、自分自身で信心
信仰を貫くということです。
困難な時だけ手を合わして拝む、しかしそれが解決
すれば手を合わすことすらしない、そんな信心ではな
く、困難なときにこそくじけずに立ち向かっていく
精神を日頃の信心信仰の中で培うという事を忘れずに
お過ごし下さい。
それが仏様の教え法華経、日蓮聖人のしめされた信
心です。

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