【600】スランプ

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お経を読みましょうと常々人に勧めています。

にもかかわらず、

そう言う自分がスランプになってしまうことがあります。
 
 
どうもお経を上げる気になれない。

酷いと本堂に入るのが精いっぱいのこともあります。

単に面倒だというものではなく、

体が受け付けなくなるという表現が近いと思います。
 
 
 
お経を読むという行為は、慣れれば簡単に感じられます。

苦も感じません。

むしろ、何かの事情でお勤めができないと違和感が付きまといます。
 
 
しかしそれは特殊な状況で、

読経という行為はそもそもが難易度の高い行いなのだと思います。

信じる心を持って体を動かさなくてはならないので、

心身のどちらかが欠けた時点で成立しなくなります。

そして、その原因は色々なところに転がっています。
 

 
私の場合スランプに陥るのは、

体調不良の最中かその前後、

あるいは仕事が忙しすぎるときです。
 

 
このどれかが当てはまる時期は、

お経を上げないといけないという気持ちがあっても、

どうしても体が思うように動かない。

なかなかに苦しい経験です。
 
 
冷静に考えれば、具合が悪くともお経を読めば改善しますし、

(カルト的に聞こえるかもしれませんが、

私にとっては経験に基づいた確信です)

お経より優先すべき行いは無いはずです。
 
 
これらの当然が通用しなくなるので、

スランプは怖いですね。

とは言えスランプは急に降って湧いたものではなく、

自分で呼び込んだものです。

それが最近ようやくわかるようになりました。

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