お経を読みましょうと常々人に勧めています。
にもかかわらず、
そう言う自分がスランプになってしまうことがあります。
どうもお経を上げる気になれない。
酷いと本堂に入るのが精いっぱいのこともあります。
単に面倒だというものではなく、
体が受け付けなくなるという表現が近いと思います。
お経を読むという行為は、慣れれば簡単に感じられます。
苦も感じません。
むしろ、何かの事情でお勤めができないと違和感が付きまといます。
しかしそれは特殊な状況で、
読経という行為はそもそもが難易度の高い行いなのだと思います。
信じる心を持って体を動かさなくてはならないので、
心身のどちらかが欠けた時点で成立しなくなります。
そして、その原因は色々なところに転がっています。
私の場合スランプに陥るのは、
体調不良の最中かその前後、
あるいは仕事が忙しすぎるときです。
このどれかが当てはまる時期は、
お経を上げないといけないという気持ちがあっても、
どうしても体が思うように動かない。
なかなかに苦しい経験です。
冷静に考えれば、具合が悪くともお経を読めば改善しますし、
(カルト的に聞こえるかもしれませんが、
私にとっては経験に基づいた確信です)
お経より優先すべき行いは無いはずです。
これらの当然が通用しなくなるので、
スランプは怖いですね。
とは言えスランプは急に降って湧いたものではなく、
自分で呼び込んだものです。
それが最近ようやくわかるようになりました。