⑥鐘楼堂

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頂妙寺の梵鐘は延寶五年(一六七七)五月二十八日、第十四世蓮性院日相上人の代に、曽谷家を功徳主として鋳造されたと刻字されています。延寶元年、京の洛中が灰燼に帰した「延寶の大火」の後、頂妙寺は家綱公の命により、洛中から現在の洛東岡崎領に移転しました。梵鐘はその頃の鋳造です。
その後、頂妙寺は天明の大火(一七八八)により、堂宇が焼失していますが、鐘楼堂は天明大火以前の建物である可能性があります。天明の大火以前の頂妙寺を記す「都名所図会」(上記画像)と対照すると、現在の鐘楼堂と酷似しています。また天明大火以降の諸堂再建が記録されていますが、鐘楼堂の再建は記録はありません。当時のままならば、鐘楼堂、梵鐘は約三百五十年の月日を重ねていることになります。
現在、梵鐘は山門の開閉にあわせ午前六時と午後八時に撞いています。
また除夜の鐘には、多くの参拝者が訪れます。

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