佛心院日珖上人 其の二

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-信長の命によって行われた安土宗論-

機内に大きな力を持っていた日蓮宗に対し、織田信長hは制覇の上に危惧を感じていました。安土宗論は、浄土宗と宗論させ敗論に陥れて精神的大打撃を与え併せて逼塞せしめようとして、織田信長が企画したものです。
信長の命により日蓮宗より日珖上人・日諦上人・日渕上人、浄土宗より玉然・貞安らが出て宗論しましたが、予定の如く無法の敗論宣告をうけました。日珖上人ら三人は捕えられ、宗論の原因になった僧侶たちは斬首されました。信長は日珖上人に「宗論に負けたという証文を書け。書かねば諸方に捕繩囚禁している宗門の僧俗の首を切り領国内の日蓮宗寺院を破却する」と脅迫しました。日珖上人たちは日頃信長の酷薄残忍な所行を実際に見聞していましたので、証文を出すこととなりました。その結果、日蓮宗は多額の賠償金を支払うとともに、洛中の布教を禁止させられたのです。このため日蓮宗は天下の笑いものとなって、関西の日蓮宗は火の消えたように雌伏してしまいました。
その後、間もなく信長は明智光秀のため本能寺に自刃せしめられました。そして、豊臣秀吉は日蓮宗の出した証文は不当にして無効であると判決を破棄し証文を没収し、日蓮宗は従来のごとく弘通活動すべきという、許状を日珖上人にあたえました。この許状の写しは、現在も頂妙寺二天堂に掲げられるています。また上記の画像は、祖師堂に祀られている、豊臣秀吉公です。

 

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