三祖 佛心院日珖上人 其の一

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頂妙寺三世、仏心院日珖上人は、堺の豪商油屋の伊達常言の子として生れました。油屋は、近畿を支配した大名、三好家、織田家、豊臣家と取引をしていました。また日珖上人の兄である油屋常祐は、武野紹鴎に茶道を学び、堺の会合衆の一人として、織田信長に拝謁しました。また父常言の発願により、妙國寺は建立されました。ゆえに日珖上人は油屋日珖上人とも呼ばれます。
日珖上人は、園城寺や比叡山、南都・京都を遊学し、神道をも学び、その学識、徳行は諸宗よりも讃えられていました。
頂妙寺の第三世を継承したころ、河内国(大阪府)高屋城によって勢威をふるっていた三好義賢入道実休は日珖上人の徳行に感じて帰依、受法しました。これより三好一族、同族たる十河家は挙げて改宗受法しました。
そして頂妙寺、堺の月蔵寺において法華経講義ないし法談を行い、これが縁となって多くの士庶の男女が受法しています。
また山光院日詮上人、常光院日諦上人と天台三大部を講じ、多くの学徒を集めました。この講義は、講師の名前に山光院、常光院、日珖上人と「光」を用いているため、三光無師会、または三光勝会と名付けられました。この三光無師会は、近畿圏の僧侶に強い影響力を持ち、安土桃山、江戸時代初期の教団に大きな影響をあたえました。
写真の尊像は、祖師堂に祀られている日珖上人の尊像です。

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