山門修理にあたり棟札が見つかりました。棟札は大正15年(1926)8月吉日、聞法山五十世 快解院日應上人が墨書されたものでした。記録によりますと日應上人は神奈川県出身、間邊智年猊下であり、市川市常運寺、東京都円成寺などを歴任されました。大正7年に五十世として法燈を継承されています。
大正15年の山門修理に当たり、柱の根元を削除し、新たに70センチほど継ぎ足されたようです。南側の柱は屋根の下にあり木によって継ぎ足され、北側の柱は雨水にあたるせいか石によって継ぎ足されています。
山門が再建されたのが200年ほど前。大正15年の修理が100年ほど前。そして令和の修理と100年ごとの工事のようです。
左 発見された棟札
右上 木によって継ぎ足された南側の柱
右下 石によって継ぎ足された北側の柱