植木先生の講義に、またまたまた目から鱗!!!!!

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 9月15日午後2時より植木雅俊先生を講師にお招きし、「現代語訳で読む『法華経』」第2講が開催された。やや涼しくなったので、今回は本堂を会場に開催した。床に掛けられた掛け軸は『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』を『妙法蓮華経』に翻訳した鳩摩羅什の肖像。先生は恐縮されていたが、古代の名訳家と現代の名訳家のツーショットだ。
 法務の都合などで欠席される方が多く、今回の参加は若干減って26名。でも、そのうちの3名は日蓮宗とは関係のない一般の方で、ネットなどを通じて参加された。法華経を弘めることに少しはお役に立てたことに感謝。遠くは穴水からおいでになられ、植木先生の人気の高さに改めて驚く。
 今回は譬喩品第3から授記品第6までを、予定時間を遙かに超えて、4時45分まで熱心に講義していただいた。お話の内容はすべて新鮮で、あっという間に時間が過ぎた。先生のお話で何度も目から鱗が落ちているが、今回は特に大きな鱗が落ちた。
 学生時代に平川彰先生の『初期大乗仏教の成立』を読み、その斬新な説に感銘を受けた、平川説は大乗仏教の起源を「在家仏教と仏塔信仰」に求めたものだ。ブッダの遺骨を安置したストゥーパ信仰が盛んになり、そのストゥーパを管理しあるいはストゥーパ参詣者をガイドをする法師と呼ばれた集団が生まれ、そこから初期大乗仏教が成立した、という説である。高校で世界史の授業をする際にも、この説を生徒達に教えて来た。ところが、アメリカのグレゴリー・ショペンがこれを否定。大乗教団は小乗教団の中から生まれてきたとする説が現在定説になりつつあるというのだ。ショペンは考古学的な方法でこれを証明したが、植木先生は法華経の中にその事実が語られていると説明された。僕が40年以上信じて来たことが、一挙に崩れてしまった。
 夜は割烹料理屋でお酒を酌み交わしながら、もっと詳しいお話をうかがい、非常に有意義な一日となった。
 次回は11月17日(土)の開催。次はどんなお話をうかがえるのか、楽しみである。

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