金沢のお盆には他の地域にない風習がある。お墓参りに来た人が、墓前に張られた紐に「キリコ」なるものを吊して、お詣りするのである。ところがこのキリコに最近大きな変化がおきている。写真の右が従来のキリコで、木と紙で造られた屋根型をしたもので、中にロウソクを立てて明かりを灯すようになっている。左側にずらりと並んでいるのが、最近大いに出回っている板キリコなるものである。
私の子どもの頃にはキリコを大型化し足をつけた「大キリコ」なるものがあって、檀家さんに頼まれて預かっているものを、お盆の前に杭を打ち込んでお墓の前に立てたものだ。そして13日の迎え火の時と、16日の送り火の時に、中にかわらけがあるので、そこに油と芯を入れて明かりを灯した。これを小型化したものが「キリコ」で、つまりご先祖さまに灯りをさしあげるものである。自家用車のない時代には持って歩くとかさばって大変なので、お檀家さんはお寺にお願いして戒名や施主名を書いたものを用意してもらった。今でもその習慣が残っているので、私の寺でも150個ほど用意させてもらっている。ところが近年、自分で持ち込む人が増え始めた。なぜ?お寺さんに戒名などを書いて貰うと、多少なりともお礼をしなくてはならない。それだったら、スーパーで買って自分で書いたほうが安くつく、というわけである。ちなみに私の寺では書いてさしあげて1個300円。スーパーだと200円くらいでしょうか。
そしてきわめつけが、板キリコ。持ち運びに便利、材料が少ないから地球環境に優しい、焼却してもダイオキシンの発生が少ないなど、いりいろな説明がありますが、要するに新規業者がさらに安い値段で従来のキリコ業界に挑んできたものです。でも、キリコはもともと金石という町の割り箸業者が端切れの材料で造っていもので、間伐材を利用したものですから地球環境に優しいものでした。だいたい板キリコと名乗っていますが、これはキリコではありません。だって火を灯すことができませんから。
火を灯せないものだったら、いっそのこと止めてしまったと言いたいのですが、そうはいかないんです。だってしっかり施主名が書かれているから、お墓参りに来た証拠になるんです。中には住所まで書いてある人がいます。だから、ご本家さんより後に墓参りしたのでは、板キリコを吊す意味がない。そのためお盆に入る前に吊して行く人がいます。「お詣りしましたよ」と言わんばかりにね。でも、そんな人は決して私に頼んでお経をあげることはしません。ご本家の方に後日お会いした時に、「先日もお詣りいただいて、有り難う」と言われた時に、なんとご返事なさるんでしょう。でもご先祖さまはちゃんと分かってらっしゃいますよ。
昨日、家内の親戚の墓参りに行ったのですが、そこの墓地には「キリコ禁止」と書いてありました。きっとキリコは持って来るけど、お経を頼まない人が多いんでしょうね。このお坊さんにとっては、お経のあがらないキリコはただのゴミにしか見えないんでしょうけど、これもどうなんでしょうね。処分費用がかからないように、板キリコを奨励しているお寺もあるそうで、いやはや世の中全部が金、金、金。ご先祖を偲び、感謝をするというお盆本来の心はどこへいってしまったんでしょうか。
私の寺はあくまで従来型のキリコです。今年のお盆でもキリコのいわれをお話ししたら、来年は板キリコを持って来ませんので、お寺で用意して下さいと頼まれました。体力の続く限り、16日のお施餓鬼のあとは、全部のキリコにロウソクを灯し、ご先祖の霊をお送りします。