開山会の御案内
― 當山開山 四條金吾頼基公 第七百二十遠忌 ―
合掌 當山は日蓮聖人に〝信者第一〟と讃えられ、身延御入山の日蓮聖人を追って鎌倉から甲州内船の地に至り、法華経への不退転の信心と誠を尽くす給仕奉仕に励まれた四條金吾頼基公開山の寺であります。本堂裏手には開山御廟所があり、頼基公夫妻の御魂がとどまる当山にはいつも 法華経の力が満ちて七百四十数年の時を刻んでまいりました。
本年も来たる三月十五日に、開山収玄院日頼上人(頼基公)第七百二十遠忌・殊勝院日眼上人(妻-日眼女)第七百十七遠忌の開山会(正當法要)を営みますので御案内申し上げます。
さて、日蓮聖人は『立正安国論』をもって鎌倉幕府を三度諫めましたが用いられず、故事に習い波木井實長公の招きによって身延へ御入山され晩年九ヶ年を過ごされましたが、三ヶ年に及ぶ佐渡配流中の厳しい寒さに加え、うっそうと日も射さず雪も身の丈を越えるような身延の山中ですっかりお身体を痛めてしまわれました。そんな日蓮聖人に医術の御供養をされたのが、鎌倉武士であり医術の心得があった頼基公でありました。頼基公は龍ノ口法難の際には、刑場にて追い腹する覚悟でかけつけたほどの信心強情な法華経の信者ですから、「何としても大聖人の御身体を癒し、心持ち晴れやかにして差し上げたい」という日蓮聖人への熱い想いが、処方したお薬の一包一包には 込められていたことでしょう。医と信仰の二つの力があってこそ一包のお薬は妙薬となり得たのではないでしょうか。
こうした頼基公の医術が日蓮聖人をお助けしたことを伝えるものに『中務左衛門尉殿御返事』 (二病抄)という、身延の日蓮聖人から頼基公に送られた手紙(御遺文)があります。「夫れ人にニ病あり。…」とはじまるお手紙には〈身の病〉と〈心の病〉の事が書かれています。日蓮聖人の御身体を案じていた頼基公夫妻は、日蓮聖人のこのお手紙を七百数十年前どんな気持ちで拝読されたのでしょうか。そしてお手紙には、身延御草庵の日蓮聖人からどのような教えとお心が示されていたのでしょうか。本年は法要後、この日蓮聖人の御遺文を、日頃より数多くの御真筆に触れ、 研究されている佐野湛要上人に拝読・読み解いて頂くことを法話と致しました。
三月十五日は四條金吾公夫妻の祥月御命日―――日蓮聖人を恋慕し法華経に生きた二人の御魂と呼応する最高の日に、七百数十年の時を越えて私たちもまた同じくこのお手紙を拝読できる喜びと功徳は計り知れません。それからまた、めざましい医学の進歩に反するように心病む人々が増え続けているということを胸に置き、御遺文を通して病や信仰について心静かに考えてみて頂きたいと思います。そして、この開山会の祈りと法話で得たものを心の力とした一人一人が、寂しいところや暗がりにぬくもりと光をもたらす〝小さき法華経の人〟となって下さることをお願いするばかりです。寺はいつでもひらかれあなたを待っています。どうかここに来てあなたの身体と心に 御題目という生きる力を満たして下さい。皆様の御参拝を心からお待ち申し上げております。再拝
平成三十一年二月吉日 内船寺住職 平原 正雄 拝
檀信徒各位
記
日時・場所 平成三十一年三月十五日(金)午後一時 内船寺本堂
法話 「『中務左衛門尉殿御返事』(二病抄)拝読」
大本山 富士山法華本門寺根源 布教部執事 佐野湛要上人
墓参 法要・法話終了後 御廟参拝
※墓参の後は庫裡にてゆっくりとお茶を召し上がって下さい。
以上
開山会のご案内
開催日:2019年03月15日