【お祖師さまのおしえ】第4回「日蓮聖人のご生涯 ④立正安国論」

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【お祖師さまのおしえ】では、
日蓮聖人(お祖師さま)の教えについて
簡単に解説していきます。
 
第4回目は
「日蓮聖人のご生涯
④立正安国論(りっしょうあんこくろん)」
です。

1253年(建長5年)に
清澄寺を追われた日蓮聖人は
鎌倉へ赴き、
その後静岡県岩本の
実相寺にて一切経を読みます。
ここで構想を練られたのが
『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』です。

清澄寺を追われてから7年後の
1260年(文応元年)、
日蓮聖人は鎌倉へ戻り
『立正安国論』を書きあげました。

そして当時の鎌倉幕府において
最高の権力者であった
前執権・北条時頼に
この書を送ったのです。

『立正安国論』に書かれていたのは
次のようなことです。

近年地震・洪水・飢饉・疫病などの
災害が起こる原因は、
民衆や幕府の間違った信仰にあります。
このままでは、
国内での裏切り・他国からの侵略などの
災いが起こるでしょう。
一刻も早く  間違った信仰を改め、
正しい教えである法華経を
信仰しなければなりません。

しかし、日蓮聖人のこの主張は
幕府に受け入れられませんでした。

それどころか、
これを契機として日蓮聖人は
生涯にわたってさらなる迫害を
受けることになるのです。

次回は、
四大法難(しだいほうなん)の初めである
「松葉ヶ谷法難(まつばがやつ)法難」
についてお話しいたします。

それではまた(^^)/

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前の話→第3回「日蓮聖人のご生涯 ③立教開宗

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