【くらしかるブッディズム】は、
昔から使われてきた仏教の言葉を
いま再び見つめ直すコーナーです。
第3回目は
「因縁(いんねん)」
です。
「因縁」ってなんでしょう。
「因縁の対決!」
と聞いたら、
過去に何かあったのかな?
と思います。
「因縁をつけられた」
と聞いたら、
理由もないのに言いがかりをつけられたんだ…
と思います。
仏教語としての本来の「因縁」は、
「因」と「縁」のそれぞれに意味があります。
「因」は、結果を生み出すものです。原因とも言います。
「縁」は、結果が生じるための条件です。
たとえばバラの種を買ったとして、
テーブルの上に置いておいても
花は咲きません。
種を土に埋めて、
水をやって、
芽が出て枝葉が伸びたあとも
虫がついたら取ってやって…
もちろん、お日様の光も
必要です。
色々と世話をして、
自然の恵みもあって、
やっと美しい花が咲いてくれるわけです。
種は「因」、
世話することは「縁」です。
この2つがそろってはじめて、
美しい花という結果が現れます。
何も埋めていない地面に水をやって、
どれだけ待っても何も出てきません。
「縁」だけあってもダメなんですね。
それではまた(^^)/
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前の話→第2回「会釈」