記憶と忘却

供養と記憶・忘却の重要性

「供養」という言葉には、日本独自の深い意味が込められています。この概念を理解するために、私たちはしばしば他の文化と照らし合わせて考えますが、日本語の「供養」を中国語で直訳することは難しく、一般的な英語の「追悼」すら、その本質を捉えきれません。しかし、供養は単なる追悼や記憶の作業に留まらず、亡くなった方の魂が悟りに達するための祈りであり、私たちの生きている現世での努力によって栄養を与える行為なのです。

その文化的背景をひも解くと、供養は古代インドの仏教儀式や、ベトナム仏教の影響を色濃く受けていることがわかります。その流れは、歴史とともに南の貿易ルートを通じて日本に根付いてきました。昭和の時代には、50回忌が供養のひとつの区切りとされていましたが、最近では故人との関係が薄れていく中で、33回忌が新たな区切りとして意識されるようになっています。これは、故人を偲ぶ人々が高齢になっている現実を反映しています。

供養の重要な側面は、忘却と記憶が同じくらい重要であるという点です。一見矛盾しているかのように思えるこの考え方は、実際には非常に深い意味を持っています。私たちは、供養を通じて過去を称える一方で、過去を手放すことも大切にしています。このプロセスは、生きている者にとっても、亡くなった者の魂にとっても、悟りへの自然な道のりなのです。

2020年は、第二次世界大戦終結から75周年という節目の年でした。
全国戦没者追悼式が千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われたこの年、COVID-19の影響で式典は縮小されましたが、戦争を経験した世代は年々減少しています。今年は終戦80年です。
いずれ、戦争の記憶が薄れ、今後の供養も小規模化することでしょう。
その時、私たちはどのように話を受け継いでいくのでしょうか?人々は過去を振り返りながらも、幸せな未来を築いていくことを望んでいます。

私たちは決して供養を永遠に続けることを願わないでしょう。
未来の世代に負担をかけることなく、彼らが過去から解放され、充実した生活を送ることができるように心から願っています。供養の究極の目的は、過去、現在、未来のすべての生き物の幸福と悟りなのです。人を惹きつける言葉とともに、この深い思索を共有していきたいと思います。

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