お塔婆はもともと、お釈迦様のご遺骨を納めた塔であると同時に、お釈迦様そのものと見なされてきました。
それが長い年月を経て今のようなかたちになったのです。このようにいうと、「お釈迦様のご遺骨が納められていないのだから、板の塔婆をたてても意味がないじゃないか」と思われるかもしれません。
たしかに、ほとんどの宗派では、お塔婆はすでにお釈迦様としての役割を果たしていないかもしれません。
ただし妙法蓮華経を信じる日蓮宗ではそうではないのです。
お釈迦様が永遠の命を持っていらっしゃることを明かす妙法蓮華経の中でお釈迦様は、
「お塔婆をたてよ。ただし私の遺骨を納める必要はない。なぜならば、お塔婆をたててそこで妙法蓮華経を唱えて供養するとき、私がその場に現れるからだ」
と説かれているからです。
日蓮宗寺院でお塔婆をたてて妙法蓮華経を唱えて供養すれば、その場にお釈迦様ご自身が現れて大きな功徳をくださるのです。