246年前の棟札

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

 こんばんは。副住職です。

 前回のブログでお伝えしました通り、今回は先日発見された古~~~い棟札についてです。写真がその棟札ですが、現在屋根裏に掛けられている棟札と比較すると、だいぶ長いですね。書いてある内容は、だいたい現在のものと同じですが、「小田原城主大久保加賀守忠由公」の名前や、建築した大工さんの名前が記されています。おそらく当時の当主である第七代忠由公の多大なる援助があったものかと推察できます。

 そして一番気になるのが、その年代。この棟札には、「明和六年」(1769)と書かれています。なんと、今から246年も前に建てられているということが分かりました。天明小田原地震(1782)や関東大震災(1923)など、多くの震災を乗り越えていることになります。
 
 ところが、大久寺の引導帳(亡くなられたお檀家様の記録帳)には、明治13年(1880)に火事があり、「本堂庫裡及仏具法用品等悉ク焼失」という記録が残されています。はて...それでは現在の本堂はその後に建て替えられたものなのか...。

 色々と調べたことを整理すると、分かったことは以下の4つになります。
  ・246年前の棟札が残っている。それ以後の棟札は発見されていない。
  ・明治13年(1880)に火事があり、「本堂庫裡及仏具法用品等悉ク焼失」という記録が残され
   ている。(庫裡はその後再建された記録がある)
  ・私の母曰く、私の祖母(現住職の母)が昔、「うちの本堂は240年くらい経つのではないか」と
   いうことを言っていた。
  ・県の調査で、ご本尊(仏像)の制作年代が江戸期であることが分かっている。

 これらを踏まえると、焼失の記録はあるものの、おそらく「悉ク焼失」というのは少々過剰な表現で、火事はあったが本堂にそれほどの被害はなかったということではないでしょうか。もちろん少しづつ改修は重ねていますが、現在の本堂の大本は246年前に建てられたもので間違いないかと思います。

 いやはやそんなに古いものだったとは。もっと本堂を大切にしなければと、考えさせられた次第です。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ