なぜお塔婆をあげるの?
皆さんは、身内を亡くされ悲しい思いをされた経験はありますか?
身内を亡くされた方は、もしかしたら、何年も経っているのに、今だに亡くなった人の事を思い出される日があるのではないでしょうか?「今でも近くにいて欲しい」「叶うことならもう一度会って話したい」そのようなことを思うのも当然の事かと思います。実はお塔婆の供養こそ、「亡くなった故人と一緒にいたい」「もう一度会いたい」という思いから始まったものなのです。
お塔婆はもともと卒塔婆(そとうば)と言い、2500年前にお釈迦さまが亡くなられた時、塔を建てて供養したのが「お塔婆」の始まりといわれています。(インドの言葉ではストゥーパというそうです)人々は、お釈迦さまに対する追慕の念と、供養の気持ちから、石を積み上げていき、それが次第に塔のような形となっていきました。この風習が日本にも伝わり、実は私たちがよく知っている五重の塔も、ここから来ているのです。
お釈迦さまは、私たちに塔供養の大切さを多くのお経で説かれています。
例えば
『妙法蓮華経 如来神力品第二十一』には
~皆塔を起てて供養すべし 是の処は即ち是れ道場なり~
と説かれています。
塔をたてて法華経を唱え供養する場所に、仏さまが現れると説かれています。この事から、お盆やお彼岸の法要、さらには私たちのご先祖様の法事の際に、お塔婆をたてて、仏さまにその場に来て頂き、法華経、お題目を唱えて供養をすることで、その大きな功徳を、亡き人に供養するようになりました
そう、まさに「亡くなった故人にもう一度会いたい」と塔婆を供養して願った結果、仏様として現れてくれた、思いが叶った瞬間です。
日蓮宗では、お塔婆に南無妙法蓮華経のお題目と、法華経の経文を書き入れ、亡くなった方の法号やお名前をお書きします。これは、お経の功徳も得ることになり、お塔婆をたてることで、法華経、お題目を唱える功徳さえも得ることになります。
だからこそ日蓮聖人のご遺文には、
~丈六のそとば(卒堵波)をたてゝ、其面に南無妙法蓮華経の七字を顕してをはしませば、北風吹ば南海のいろくづ(魚族)、 其風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其風を身にふれて畜生道をまぬかれて都卒の内院に生れん。況やかのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼の卒堵波(そとば)の功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並に妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つづみ(鼓)をうてばひびきのあるがごとしとをぼしめせ~
「南無妙法蓮華経と書かれたお塔婆をたてたことにより、この塔婆に風があたれば、その風に触れた魚、鳥や鹿は生まれ変わった時、人間として生まれることができるでしょう。ましてや、その塔婆を自らすすんでたてた人達は、計りしれないほどの功徳を得ることができるのですよ」と言っています。
お塔婆のたてる素晴らしさが説かれています!
お塔婆を供養するということは、故人に対する供養を捧げると同時に自分自身の徳を積む機会になっていたのです。そのため、妙海寺ではお彼岸やお盆、お会式の法要の時、そして、年回忌の法事をお勤めする際には必ず塔婆を建立してもらっています。
どうか、お塔婆を立てる機会がありましたら、進んで多くのお塔婆を立てていきましょう。そして、この上ない功徳を得ることができるお塔婆をたてて、日々の中で、善行を積んでいく生き方をしていきましょう。