立正安国・お題目結縁運動 いのちに合掌

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普賢山 妙海寺

【Fugenzan Myoukaiji】

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    彼岸入り題目(春)

    毎年、春と秋の彼岸の入りにはお題目修行を行っています。みんなで、うちわ太鼓を持ち、大きな声でお唱え…

    2020年02月24日

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ごあいさつ

☆はじめまして!妙海寺です☆

 このお寺は、普賢山と号します。妙海寺の創建年代等は不詳ですが、現存するお寺の仏具に「文治3年春(1187)源右門匠義宗」とあり、鎌倉時代以前には創建、薬師寺と号していたといいます。木月村の村民、鳥海讃岐が開基となり、佛性院日正上人が天文3年(1534)に開山、近隣に末寺を擁する小本寺格の寺院だったといいます。
 妙海寺の創立は天文三年(一五三四年)ですが、この天文三年は織田信長の生まれた年であります。その頃、この近くに鳥海讃岐と云う人がすんで居ました。寒い冬も去った三月、疫病の為一家悉く床に臥し苦しんでいる中で、当主、鳥海讃岐の夢まくらに薬師如来が現れ「明朝このあたりに諸国巡礼の高僧が通る。招じて祈祷を請え」とのお告げを受けました。果たせるかな、翌朝一人の旅僧が通りかかったので招じて祈祷を頼むと、たちどころに病が癒えたとあります。鳥海讃岐は大変喜び上人に帰依し、薬師寺を改め鳥海の海、妙法蓮華経の妙をとって妙海寺とし、上人を招請して住職としました。此の上人こそ京都布教の為下降して来た、仏性院日正上人でありました。その後上人は妙海寺を根拠として近隣の里人に仏法を説いて多くの信者を作り、その結果として門弟二世の日徳上人は鹿島田浄蓮寺を、門弟三世日広上人は上平間法田寺を、門弟四世日啓上人は北加瀬了源寺を開くに至りました。
 徳川時代には、徳川二代将軍徳川秀忠の娘「和子」(まさこ)姫の祈願所となります。寛永元年十一月和子姫が宮家に入り、第百八代後水尾天皇の中宮(皇后)となります。中宮は東福門院と尊称され、毎年京都より使者の代参があり、宮家の庇護の下に栄えて来たので有ります。
 東福門院様の親王が京都岩倉に實相院門主となります(石座門跡)。明治に火災で焼失した本堂は大変立派なものであったとあります。その折残った門は昭和二〇年戦災で焼けるまであり、茅葺きで立派な門で扉には菊の御紋章がついておりました。實相院の宮家が祈祷する時は、緋金の實相院菊の紋を入れた袈裟を許され、拝領の實相院菊の紋の入った「袈裟」「御令旨」と文箱書面並に東福門院様の「曼荼羅」が現存しております。

 

基本情報

寺院名称 普賢山 妙海寺(みょうかいじ)
住所 〒211-0025 神奈川県川崎市中原区木月4‐42‐6
電話番号 044‐411‐3645
連絡先 FAX  044-433-7634(なむみょうほう)

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