尼僧になって多い相談事2位~いじめについて~
ここ10年程いじめについての相談を多く受けます。オンラインが普及し、相談しやすい環境が整いはじめたのか、重たい心に心地よい風を少しでも通そうとお話しする方も多くいます。
ある商店街で飲食店を営むBさんのご子息は、本が大好きな中学生 勉強は中の上クラス 運動もほどほどに、特に目立つこともなく、全く普通の学生生活を送っていました。しかし学校内の小さなトラブルで友達をかばった発言からいじめが始まったといいます。地元で商店を営んでいる手前、目立った事をすれば商売の邪魔にもなる。ご子息は必死に忍耐し、親に迷惑、心配をかけまいと我慢し続けていたとの事です。
丁度同時期、飲食店を営むBさんにも商売上に思いがけないトラブルが起こり親子で不運が舞い込んできたという事でした。
自営業の厳しさ、家族の協力、生活のバランスを保つ事の難しさを、かけがえのないわが子と乗り越えていきたいというご主人の願いは強いものでした。
乗り越えなければならない。今辛くとも今後の自分に、ご子息にも、大きな力となることを信じて 生きることの勉強だと思いますと必死に話すBさん。
Bさんは必死に毎日お題目を唱えました。Bさんの唱えている姿を見てご子息も一日一日を必死に乗り越えました。いのちに合掌・・その意味の深さを、祈りに変えて・・ご子息は無事いじめの中の受験も乗り越え、中学を卒業しました。
いじめとは、五感を狂わせ底なし沼のような錯覚に追いやり、偽装で懲り固めた枠にはめて、拘束する 卑劣残忍な行為です。偽装で懲り固めた枠は、実は、他方から見ると一時しのぎで、脆く不確実な事が多く、強いものといえば悪気ばかりだったりという事が多くあります。
お題目は、その気を破り、五感を整い、平常心を失わず、前を向かせた必死なる親子の唱題だったのでした。
日蓮大聖人、お題目とのご縁は親子にとって過酷な経験の中での出会いであり法縁でありました。
いじめについて思います。
AIが普及する昨今、一つの物事を形づけていく技術は進化し続けており、数秒先の変化も見逃さず情報を読む技術には圧倒されるものの、それが人の心とどれほど連動できるものなのでしょうか? 連動し、外へ表現していく技術、いじめをなくし、個人を尊重する技術はあるのではないでしょうか?
今後、その進化に強く期待したいものです。
