魔が恐ろしい時もあるし
頼もしいときもある
それが本当の恐ろしさ
迷いの心境か
天のちからか
魔のちからか
どっちともわからぬ
不思議な力は天魔なのである
そういうものに見いられてしまう
小さな力なのに
大のはたらきをする
それはだいたい天魔のちからと考えてよい
蓮華は泥池にあって尚
清廉な華を咲く力を
称賛され
仏典第一と目される
妙法蓮華経の題目となる
複雑雑多な世間に有って
キレイな身のままキレイな心のままで
居られるならば
それは確かに有難い人である
しかし仏の力は
エリートに授ける救いではない
たとえ魔のはたらきに期待しても
世間に清浄な華を咲かせるために
不浄さを用いる
だいたいみんなこれをやっている
仏さまは
成仏の前に
なすべきこととして魔を払った
その魔は誘引の魔であった
清浄な願いを持つブッダの心を
翻させる誘引を持つ魔が
ブッダ成仏の直前に襲いかかったのだ
我々が仏教徒が目指すのは
一切衆生の成仏への引導
魔が目指すのは
一切衆生の悪業への誘引
魔に見いられているのか
はまたまた魔を敢えて頼っているのか
わかないとき
自分の心に今一度尋ねてみるよりない
おまえは一切衆生を誘引してるのか引導しているのかと
この分別以上の分別がこの世にあろうか
法華の力は
懺悔の仕方にあり
最後に愚僧の忠告
蛇のような狐のような
顔をしてるのは
未来成仏はあっても
今現在は誘引の魔にかどわかされている者多し
敢えて彼の話に頼るべからず
何故なら
愉しむを 楽しむを
何故か隠そうとしている顔であるからだ
まことに奇怪である
奇怪であることを魔という