…死…
人様は 死なぬ身として かんがえて
自分は死ぬる ほどこれ丁度よし
そう思えない人に
信仰を持てと言っても
それは聞く耳持たないでしょう
自分の臨終こそ例外なし
そう思って大切に人生を送る人が
死に際に自分を看とる人に
『 ありがとう 』
と 言える
本当の悲しみを知った心は
きっと
厚い感謝の思いを沸き立たせる
さて いざ自分の死に臨むなか
心から家族に謝辞をのべる
それは易しいことでない
他人事だった死が
いよいよ
自分に訪れているのだから
どうしたって
死と向き合う時間も
必ず我々には必要なのです
(寺からも墓からも離れていく
それは個人の自由かもしれませんが
多くの人がどうか
人は死ぬという事実からは遠ざからないように…
日々微力ながら私はそう『願う』ものであります
私個人という者への過信であり傲慢性は個人の破滅のみならず
きっと平和のようなものも破滅させる
非常に大きな『魔』であると
愚僧はそう思うからです)