日蓮宗の宗門史跡に指定

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 この度、日蓮宗から「西国弘通最初の法華道場」として当山が宗門史跡の指定を受けました。
 
 立正大学の名誉教授の中尾先生から宗門史跡のお話を頂いた当初、正直なところ躊躇していました。中尾先生を始め県内諸先輩からの度重なる薦めもありましたが、申請を決めた大きな事は身延山で偶然にも中尾先生と出会ったことでした。身延山の祖師堂前でバッタリと出会った中尾先生からは出会うなりに「早めに申請を出された方がいいでしょうね」との話がありました。まさにお祖師様の目の前で言われたことに深いご縁を感じ、改めて宗門史跡の申請をする思いをいたしました。
 
 そして今年の5月に当山から多くのご寺院の方々の推薦書と共に宗門に向けて申請書を提出しました。
同月には宗務総長より宗宝霊跡審議会に諮問があり、今年9月5日と6日には審議委員の先生方と宗務院が当山に現地調査を実施。厳密に調査され10月21日宗宝霊跡審議会にて慎重に審議され宗務総長に答申されました。
その結果、日蓮宗規定第三十二号宗門史跡規定により当山が「西国弘通最初の法華道場」として宗門史跡の指定を受けることになりました。
 
答申書には大きく分けて下記の通り調査をまとめて下さっています。
・日蓮大聖人の信者となった鎌倉の武士伊達朝義公が1281年に当山を開創された事。
・妙本寺を中心に寺院檀徒すべて法華となり現在に受け継がれている事。
・その後、大覚妙実上人が当山を拠点に西国進出の端緒を開き「備前法華」の基を築いた事。
・京都が飢饉に瀕した時、野山から援助するなど、その後の京都妙顕寺との深い関係。
・京都吉田神道からの三十番神勧請の非難を受けた時の日具上人の対応により、吉田神道からはかえってその論理を称賛され番神堂が寄進されている事。
・「妙本講」の伝統を地域全体で護持している事。
・国、県の重文を擁する伽藍が古刹としての偉容を実感し伝統を護持している事。
・妙教寺(大覚上人足洗いの史跡)を始め野山七か寺も中世の歴史を確認した事。
 
 以上の事により当山が日蓮宗の宗門史跡に指定されました。12月9日東京の宗務院に於いて日蓮宗宗務総長より辞令の交付があり、当山護持会長の楢崎眞一さんと共に出席してまいりました。
 
 辞令の交付を総長様から直々に拝受し、改めてその任の重さを実感じています。図らずも大覚大僧正の650遠忌の正当に、この栄誉を頂けたことは、歴代の住職を中心に地域の方々が信仰を大切に継承してきた賜物だと実感しています。今後はその名に恥じぬように檀信徒を始め地域の方々と共にお寺の護持に精進して参りたいと思っています。
中尾先生をはじめご推薦いただいた県内のご寺院様には心より感謝申し上げます。合掌

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