なまぐさ説法 平成30年4月
桜と富士山と日蓮聖人
いよいよ四月です。いろんなことが始まる季節になりました。そして桜の季節。梅には母という文字が入っていますが、桜には女という文字が入っています。古事記や日本書紀に登場する神話の美しい娘「木花開耶姫(このはなさくやびめ)」の「さくや」が「桜」に転化したものだという説があります。「木花開耶姫」は霞に乗って富士山の上空へ飛び、そこから花の種を蒔いたと言われています。そして、富士山そのものをご神体とした富士山本宮浅間大社(せんげんたいしゃ 静岡県富士宮市)は、全国で千以上に及ぶ浅間神社(せんげんじんじゃ)の総本社で、木花開耶姫を祭神としています。富士山は仏教信仰の聖地として山岳信仰の聖地として毎年沢山の方が登山されます。この実績が認められ世界文化遺産となったのは周知の通りです。この富士山と日蓮聖人も大きな関わりがあります。富士山の山頂に日蓮聖人像がお祀りされていました。この像は現在、日蓮宗宗門史跡に指定されている静岡県の車返霊場祖師堂内に安置されており、かつて富士山頂に安置されていたものであることが、台座の銘文より知ることができます。
富士山は、鎌倉時代にも霊山として崇拝されており、日蓮聖人の6大弟子の1人日興上人は、富士山が日本第一の名山であることを認識し、大石が原(富士宮市上条)の地に戒壇を設け、これは大石寺(日蓮正宗の総本山)として発展していきました。この地域には日興上人ゆかりの富士五山がありますが、すべての寺院に富士山という山号が付けられています。日蓮宗の総本山身延山の守護神七面大明神は、末法の世を守護するといわれ、信仰されていますが、頂上の敬慎院では、御来光を拝する御来光信仰=太陽信仰があります。朝起きて御来光を拝み、それから朝の勤行を始めます。春秋彼岸の中日には富士山から昇る朝日を拝めることもあり、七面山登詣者にとって富士山そのものが礼拝対象となっています。
日蓮聖人と富士山とのつながりについて、山川智応著『日蓮聖人』には「文永六庚午、今年富士山に登り、その中腹に法華経を埋めて鎮国に擬す。後世経ケ岳と称するは是なりと伝ふ」とあることから、文永6(1269)年5月、聖人48歳の時といわれています。江戸時代以降に作成された日蓮伝記をみると、富士山経ケ岳(嶽)の存在が確認でき、伝記を構成する重要な場面として定着をしていきます。
現在、富士山吉田口五合五勺付近にある経ケ岳は、日蓮聖人埋経の霊地と伝えられ、塩谷平内左衛門家によって代々守られていました。例年7月1日の山開きには、塩谷家所蔵の祖師像を背負って登山し、山小屋に安置して礼拝したといいます。平内は、富士吉田の神職でしたが、日蓮聖人の教化を受け、受戒して本尊を賜っています。富士吉田市には塩谷家ゆかりの上行寺があり、平内は出家して日仙と称し、自ら同寺の2世となっています。
日蓮伝記と富士山信仰のつながりが強調されるようになると、富士山内のいくつかの場所が日蓮聖人ゆかりの霊場として顕彰されるようになります。主な霊場は経ケ岳で、よく知られているのは吉田口五合五勺の位置にある場所です。他にも、村山口に経ケ岳が存在したといわれ、富士宮市大泉寺には、富士山安置の天拝祖師像、木版刷女人堂安置・開運祖師大菩薩像が伝わっています。他にも本栖湖から登った付近にあったという説があります。どの場所が富士山経ケ岳であるのか、確証たる史料がないので特定することはできません。塩谷平内と日蓮聖人の話から推察すると、吉田口の場所が妥当であると考えられますが、経ケ岳の存在を史実として確証するには資料的な限界があります。いずれの説にし ても、富士山と日蓮伝承が残されていることは注目に値します。日蓮聖人が亡くなられた10月13日にも季節外れの桜が咲いたと伝承に残っています。日蓮聖人の亡くなられた時の行事、お会式に桜を供えるのはこのことが元になっています。