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後鳥羽上皇・村雲御所第八世日照大比丘尼ゆかり

千箇寺詣りのらくがき寺 「開基・日像菩薩 開山・大覚大僧正」(寺格 西竜華・永聖跡) 霊亀山 妙立寺 (れいきさん みょうりゅうじ)

【Reikisan Myoryuji】

526-0828 滋賀県長浜市加田町107番地 住職 第51世 大西寛明

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ごあいさつ

 

縁 起 
 
当山は、京都の日蓮宗本山・立本寺の末寺であり、正治元年(1198年)、御潜幸中の後鳥羽上皇が天台宗の祈願所として創建されましたが、その後廃寺となりました。
 延慶二年(1311年)日蓮聖人の孫弟子である日像上人は、北陸伝道の途中、浅井領主平井左京太夫友清の館を訪れ、法華経を説きました。説法を聞いた当時の末寺の住職や檀信徒達が日像上人に、帰依・改宗し廃寺となっていた妙立寺の再建を懇願しました。
 日像上人は、この地を訪れ日蓮宗「霊亀山妙立寺」を再建され、大覚妙実上人を開山として、第二世を青蓮房日選上人と定めました。しかし正慶二年(1333年頃)戦火で焼失しましたが、西国(備前・備中方面)伝道中の大覚上人が再び訪れ、妙立寺を再建されました。
 それから約240年後、天正七年(1579年)『安土法論』の法難を受け、織田信長の命令により、伽藍は尽く灰燼に帰しました。時の檀信徒達の発起で天正十一年(1583年)、第九世智徳院日念上人代に堂宇が再建されました。
 寛政六年(1794年)「村雲御所・第八世常孝院宮日照大比丘尼(霊元天皇の皇祖孫 日照女王)」門跡を永代供養する事になり、祈願所となりました。
 境内には、後鳥羽上皇のお手植えの「鳥羽桜」、お手洗いの井戸の「岩亀水」や「詠歌」が伝わります。
 
 植えおきて後のかたみとなす桜は色香妙なる法の庭もせ。          
後鳥羽上皇
                                                                            
                                                   
<坂田郡史より>
 

『御朱印』受け付けております。 ※但し事前に、御連絡を願います。
 

 

基本情報

寺院名称 千箇寺詣りのらくがき寺 「開基・日像菩薩 開山・大覚大僧正」(寺格 西竜華・永聖跡) 霊亀山 妙立寺 (れいきさん みょうりゅうじ)(れいきさん みょうりゅうじ)
住所 526-0828 滋賀県長浜市加田町107番地 住職 第51世 大西寛明
電話番号 0749-50-3256
お問い合わせ先 myoryuji1309@zeus.eonet.ne.jp

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