【600】家族が積極的な法事

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法事は、生きている私たちが修行を積むことによって、

得られたその成果(功徳)を故人に差し向けることが目的です。

ここでいう「修行」とは、お題目をお唱えし、お経を読むことを指します。
 
 
これは法事に限ったことではなく、

誰かのために自分が修行をするという考え方は、仏事の基本になっています。

ですので僧侶だけに任せず、

その場にいる全員で取り組むことが大切だと思っています。
 

 
先日、あるご家庭の法事に伺いました。

ところが、よりによって私の喉の状態が最悪でした。
 
 
その少し前まで風邪をひいており、

体調は戻ったものの声が復活しなかったのです。
 
 
声明(歌)の高音は出せず、お経も息継ぎの際に咳き込む有様です。

とても法事をしたとは言えない酷い状態でした。
 
 
幸か不幸か、そのご家庭は素直で熱心な方が多く、

参列者のほぼ全員が読経に参加してくださることになりました。

私個人が出せた実力は酷いものでしたが、

その家の方の努力までを含めて考えたとき、

相当によい法事だったのではないかと思います。
 
 
 
一緒にお経を読みましょう、と言うだけではなかなか伝わらないこともあります。

ですが一種の危機感を共有していただけたおかげか、

自分ががんばらなければという空気が、ご家族の中で自然と生まれる結果となりました。

自主的になってもらうこと、積極性を引き出してもらうには、

まず助けてもらうということが重要なのかもしれません。

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