法事は、生きている私たちが修行を積むことによって、
得られたその成果(功徳)を故人に差し向けることが目的です。
ここでいう「修行」とは、お題目をお唱えし、お経を読むことを指します。
これは法事に限ったことではなく、
誰かのために自分が修行をするという考え方は、仏事の基本になっています。
ですので僧侶だけに任せず、
その場にいる全員で取り組むことが大切だと思っています。
先日、あるご家庭の法事に伺いました。
ところが、よりによって私の喉の状態が最悪でした。
その少し前まで風邪をひいており、
体調は戻ったものの声が復活しなかったのです。
声明(歌)の高音は出せず、お経も息継ぎの際に咳き込む有様です。
とても法事をしたとは言えない酷い状態でした。
幸か不幸か、そのご家庭は素直で熱心な方が多く、
参列者のほぼ全員が読経に参加してくださることになりました。
私個人が出せた実力は酷いものでしたが、
その家の方の努力までを含めて考えたとき、
相当によい法事だったのではないかと思います。
一緒にお経を読みましょう、と言うだけではなかなか伝わらないこともあります。
ですが一種の危機感を共有していただけたおかげか、
自分ががんばらなければという空気が、ご家族の中で自然と生まれる結果となりました。
自主的になってもらうこと、積極性を引き出してもらうには、
まず助けてもらうということが重要なのかもしれません。