「四十九日(しじゅうくにち。別名:満中陰忌 まんちゅういんき)までは、
がんばって毎日お題目をお唱えしましょうね」
と、お葬式に参列される方にお伝えしています。
お題目を唱えることは、生きている私たちが故人のために代わって修行を積むことで、
亡くなった方にはできるだけ多くの功徳をぜひ受け取って欲しいと考えるからです。
しかし、ほとんどの方とって毎日のお題目は難しいと思います。
四十九日の法要を迎えるとに、
「ここまであっという間でした」と感想を述べる方が大半です。
市役所などに行き、年金の支給を止め、方々への支払いやお礼をするなど、
人が亡くなると一気に忙しくなるので、
気づけば大変な時間が流れていた、というのが実感だと思います。
この山のような手続きの間を縫って一日に一度だけでもお題目を唱えようと思えば、
何気にそれは相当に難易度の高い要求のはずです。
はっと思い出したときには数日が過ぎているでしょう。
だからできなくても責められることはないのですが、
もちろんできるに越したことは無いですし、
「ぜひやってくださいね」とは言い続けるべきでしょう。
誰かが亡くなってもいつかは日常へと戻り、
自分の気持ちもまた平常なものへと落ち着いていきます。
ですが少なくともお題目やお経を唱える自分になったという
生まれ変わり経験だけはしてほしいと常々思います。
そうすれば、縁というものの意味が少しだけわかりやすくなるように感じています。