ほとけの国(地獄)

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これは、イラストレーターの しゅろく さまに依頼した作品です。
 
タイトルは『ほとけの国(地獄)』です。
 
 
地獄?
 
いやいや、これのどこが地獄でしょうか。
 
 
カシオペア座が鎮座し、よだかの舞う美しい星空、
 
そびえ立つ菩提樹を照らす夜明けの太陽、
 
そして川の中で控えめながらもハッキリと目立つ白い蓮華。
 
 
地獄らしいものがありません。
 
あえて地獄に見えるものをひとつ指摘するならば、
 
中央から少し右の女性でしょうか。
 
辛いことがあったのか、天を仰いで慟哭しているように見えます。
 
 
 
この女性の名は、パターチャーラーと言います。
 
元々裕福な女性でしたが、立て続けに悲劇に見舞われます。
 
 
この話は彼女が実家の使用人と恋に落ち、
 
駆け落ちするところから始まります。
 
この話は、紹介されている箇所によって少しずつ違いがありますが、
 
そのうちの一つを紹介します。
 
 
家を飛び出した二人は、幸せに暮らしていました。
 
しかしある日、パターチャーラーは、すべてを喪ってしまいます。
 
 
ある日、彼女は自分が妊娠していることに気づきます。
 
これを機に里帰りを考えましたが、
 
道中で産まれてしまったので帰ることは無くなりました。
 
ただ、二人目の妊娠のとき、
 
今度こそは実家で産もうと決意します。
 
 
夫婦は故郷に戻ろうとしましたが、
 
その最中に激しい雷雨に遭遇します。
 
 
家族は森に避難しました。
 
ところがそこで夫は毒蛇に噛まれ、帰らぬ人となってしまいます。
 
パターチャーラーは深い悲しみの中、
 
陣痛を起し、森の中で二人目の子どもを出産します。
 
 
子どもは生まれましたが、彼女は実家を目指すことにします。
 
その道中、昨日の嵐で増水した川を渡ることになります。
 
 
一度に二人を抱えるのは危険と判断し、一人をまず対岸に渡し、
 
そうして自分はもう一度岸に戻り、二人目を渡すことにしました。
 
しかし、残した子どもが鷹にさらわれ、
 
パターチャーラーは思わず悲鳴を上げてしまいます。
 
 
その声を聞いた反対の岸にいた子どもは、
 
お母さんが呼んでいると勘違いして川に入って流され、
 
二度と帰ってくることはありませんでした。
 
 
二人の子どもを失ったパターチャーラーは故郷に戻りますが、
 
昨日の雷と洪水により、自分の両親はもうこの世にいないことを聞かされます。
 
ついに彼女は発狂します。
 
 
やがてお釈迦さまに出会って救われるので、
 
一応は、めでたしなのかもしれません。
 
ですが、仏弟子の中で最大級の悲惨な過去を背負った女性だと思われ、
 
彼女の経歴が美談として語られることは決してないでしょう。
 
 
 
この絵は、ちょうど子どもを喪った直後の瞬間を絵にしていただきました。
 
冒頭で書いた通り、この中には数多くの美しいものが描かれています。
 
ですが、この主人公は、世界の美しさに気づくことができないでしょう。
 
 
よく見ていただくと、パターチャーラーの持っているものは、
 
とても高級そうな子ども服です。
 
子どものために買っておいたのかもしれません。
 
この服を買えたこと自体が、幸せだった証拠だとは、
 
とても言うことができません。
 
 
 
彼女はさぞ、自分の運命を恨んだでしょう。
 
まだ自分の人生が続くことに絶望したかもしれません。
 
そして心のどこかでは、
 
こんな出来事を引き起こしてしまった自分自身の選択を呪ったことでしょう。
 
 
自分が積み上げた業に心を壊されたパターチャーラーには、
 
遠いどこかの国で同じように自分自身の命を嫌悪し、
 
星になったよだかの姿が見えたでしょうか。
 
程度の差はあるとはいえ、
 
誰もがみな自分の人生や通ってきた道をすべて否定したくなるということに、
 
思い至ることは可能なのでしょうか。
 
今の彼女の耳には、周囲が語り掛けてくる言葉は聞こえないように思えます。
 
 
ところで。
 
この瞬間も世界はパターチャーラーに多くのことを伝えようとしているはずですが、
 
もしかすると、これを見る私たちにも何かを言おうとしているのではないでしょうか。
 
 
例えばですが。
 
今自分の心がどんな有様でも、白い蓮――自分の救いになるものは、
 
案外近くにある、とか、どう、でしょう?
 
 
ありきたりですね。陳腐ですね。月並みですね。
 
しかし、本当に上のメッセージが平凡で、
 
わざわざ言う必要のないほど当たり前なものなのでしたら、
 
それはそれで心強いことだと思います。
 
 
もちろん、救いに気づけないのが地獄たる所以かもしれません。
 
パターチャーラーが救いの存在に気づくのには、まだ時間が必要でした。
 
ですがこの女性は、この瞬間に蓋をして鍵をかけることはなく、
 
いつもこの日のことを直視していたのだと思います。
 
 
パターチャーラーはお釈迦さまによって、救いを手渡されました。
 
では世界中にいるこの女性の生き写しのような人々は、
 
もう佛さまを見つけることができたでしょうか。
 

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