梅津本福寺では11月3日文化の日にお会式法要を行うのが恒例となっています。今年は前日の雨天から打って変わり朝から快晴となり、いつも以上に清々しい気持ちで法要を始めることができました。
今年のお会式も春季彼岸会以降の法要と同様、新型コロナウイルス感染防止対策として本堂に参拝者を入れず住職と修徒の2名だけで法要を行い、檀信徒には法要終了後それぞれ都合の良い時刻に参拝していただくという「自由参拝」の形式を採ることとしました。
例年ですと周囲に大勢の檀信徒が取り囲む中で僧侶は法要を執り行いますが、がらんとした本堂で僧侶だけで行う法要に当初は戸惑いましたが、回を重ねるとそれなりに慣れてきたようでもあります。檀信徒の皆様もこの形式に慣れてこられたようで、法要が始まる時刻には参拝者はチラホラ程度でしたが、法要終盤には本堂入り口に人だかりができる程になりました。また、お子様連れが多いように思われました。秋のお彼岸の折にも気に留めてはいたのですが、今回は特に目立ったような気がします。子供連れの参拝となると、本堂の中で長時間正座しての法要は少々辛い感じがしますが、本堂入り口に設けた焼香台での焼香・参拝だけだと気軽に足を運べると多くの人が感じられたのかもしれません。
コロナ禍は「わざわい」ではありますが、実は「わざわい」の中にも、わずかではありますが今後の新たな展開を見つけ出すことができるのではないかと感じられた一日となりました。
さて、お会式についてこのような感想だけで日蓮聖人への報恩になるのかと、読者の皆様は疑問に思われるかもしれません。しかしながら、「私」という存在の周りにある「厳しい環境」に対して不満を抱くのは仕方ないこととしても、「私」の心に映る「厳しい環境」の中にも仏様の希望の光を見出し、取って返して現実の「厳しい環境」に関わっていく...そういう生き方の端緒になるのではと思っています。