金沢のキリコ文化が危ない!

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 金沢のお盆の風習にキリコがあります。板と紙で作られた灯籠を、墓前にお供えします。うちのお寺ではお施餓鬼法要が終わったあと、墓地のキリコすべてに蝋燭の灯を点し、鉢と銅鑼を鳴らしながら読経・行道し、精霊をお送りします。いわゆる送り火、万燈会と同じ趣旨のものです。暗闇の中にキリコに点された淡い光が幻想的な雰囲気を醸しだし、参加されたお檀家さんは感激されます。
 ところが、最近「板キリコ」なるものが幅をきかせてきました。資源の無駄遣いはやめましょうなんて言ってますけど、単に新しい商売にすぎません。これを買う人達の本音はかさばらなくて持ち運びに便利である上に安いということです。仏さんに手を合わせることよりも、自分がちゃんとお詣りに来たという証拠を残したいという意図が見え見え。中には住所まで書いてある人もいます。仏さんは住所書かなくても、誰がお詣りに来たかちゃんと分かってますよ。だいいち、板キリコでは灯りを灯せません。火がつけられていない大文字焼き、灯りの点っていない灯籠流し、考えられますか。
 ちなみに、板キリコを持って来られた方に墓前でのお経を頼まれたことはありません。なんのためのキリコなのかよく考えて、板キリコなる訳の分からないものは、すぐに止めてもらいたいと思うのですが……。
 

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