【プチ法話】第2回「赤い真珠―見えない苦労―」

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【プチ法話】のコーナーでは、
お釈迦さまにまつわるお話を
紹介していきます。

第2回目は
「赤い真珠―見えない苦労―」です。
 
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ある時、
お釈迦さまの弟子の阿難(あなん)
こんなことを言いました。

「お釈迦さまは王子様という
恵まれた身分にお生まれになり、
樹の下に座ってご修行なされて6年、
ずいぶんと容易く
お悟りを得られたように見えます」

するとお釈迦さまはこんな話をしました。

「昔、あるところに長者がいた。
大変裕福で、ありとあらゆる財宝を手にしていたが、
ただ一つ、赤い真珠だけは持っていなかった。

長者は人を雇って赤い真珠を取らせようとした。
その人というのは険しい場所に行って
宝を取る名人だった。

そのやり方というのはこうだ。

まず自分の身を刺して血を出し、
それを油を入れる袋に包んで海に潜り、
海底にばらまく。

すると血の匂いを嗅ぎつけた真珠貝が
餌と間違えてこれを食らおうとして
砂の中から頭を出す。
それを捕まえて貝を開き、
中の真珠を取り出すのだ。

この方法で実に3年の年月をかけて、
ついに赤い真珠を得ることができた。

さて、名人は海からあがって
浜にもどってきたのだが、
事の始終を見ていた彼の仲間は面白くない。
妬みのあまり、水を汲みに行く名人について行き、
後ろから押して彼を井戸の中に
突き落としてしまった。

幸い名人は井戸の底で無事だったが、
しばらくするとライオンがやってきて
井戸の水を飲み始めた。
名人は水底で息をひそめ
恐怖に震えていた。

やっとライオンがいなくなったので、
名人は井戸から這い出て家に帰った。
そして雇い主の長者を呼び出してこう言った。

『長者さま、私はここに来るまで
誰にも知られず、傷をつけられることもなく、
この宝を持ち帰りました。
長者さまも、くれぐれも人に知られぬようにして
持ち帰ってください。
私も決して他言はいたしません』

名人はいまだ恐怖にふるえる手で
長者に真珠を渡した。
これを見て、彼が大変な苦労をしたことを
長者はさとった。

ついに赤い真珠を手に入れた長者は
これを持って帰宅した。
家には2人の子どもがいて、
さっそくこの赤い真珠を見つけて
もてあそび始めた。
そしてお互いにこんなことを言い合った。

『この真珠はどこから出てきたんだろうね?』
『ぼくの財布の中からさ』
『ちがうやい、こんなもの、
うちの甕(かめ)の中にだってあるよ』

父である長者はこれを見て笑った。
夫人が『何を笑っているのです?』と訊ねた。
長者はこう言った。

『私はね、あの赤い真珠を得るのに
大変な苦労があったことを知っているんだよ。
それなのに事の顛末を知らないあの子は、
甕の中にだってある、なんて言うからさ』

阿難よ、お前は私が今
さとりを得ている様子だけを見て、
簡単にそれが得られたと思っている。

しかし実際には、
私はこのさとりを得るまでに
大変長い間学び、考え、
苦難に耐えてきたのだ。
それを容易いことと言ってしまうのは、まるで
『こんなものは甕の中にだってある』
と言って赤い真珠をもてあそぶ
子どもと同じだよ。

このさとりというものは、
一時の修行を経たくらいで
手に入るものではない。

ありとあらゆる修行を経て、
たくさんの功徳を積んだ者だけが
たどり着く境地なのだ」

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いかがだったでしょうか。

今、私たちは指一本で
スマートフォンを操り、
お釈迦さまの教えを
いくらでも知ることができます。

しかし、その教えの源である
お釈迦さまのさとりは、
私たちには想像もできないような
努力の果てに、
1人の人間によって
やっと得られたものです。

そのことに思いを致さず、
そのありがたさに気付かずに、
赤い真珠をもてあそぶ子どもは
私たちそのものでもあります。

さとりというものに対する
畏敬の念を忘れず、
より良く生きるための導きとして
ありがたく受け取っていきたいですね。

それではまた(^^)/

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前の話→第1回「愚鈍な男と一本のほうき」

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