お坊さんはなぜ衣を着ているの??

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こんにちは。
妙好寺の弟子です。
お坊さんは暑い日も寒い日も法事があれば衣を身にまといます。
一見すると涼しそうですが・・・・夏は暑いです。
一見すると暖かそうですが・・・・冬は寒いです。
それでも、なぜ衣(法衣)を着るのか?
 
衣とはそもそも寒さから身を守り、また暑さからも身を守ります。
そして、体を包み隠したり美しく飾ったりします。
生きていく中でかけがえのないものです。
 
また古くから僧侶は着るものは、
三衣一鉢(さんねいっぱつ)といい僧が個人所有を許された
大衣・九条・五条の三種の衣と、托鉢の時に布施を受ける一個の鉢のこと。
出家修行僧の生活が質素であるべきことを示すものです。
 
では日蓮宗ではどのようにとらえているか?
 
法華経の第四の巻の法師品には
「わが滅度の後に、よくひそかに一人のためにでも法華経を説く者があるならば、その人はまさしく如来の使である。
(中略)如来は衣をもってその人を覆(おお)い、守護せられるであろう」
と説かれています。
また法華経を弘通する者は必ず、慈悲にあふれた優しい心と、
困難に耐え忍ぶ強い心との両面を備えた衣を着なければならないと教えられております。
ですから法華経の法師品に「如来の衣とは柔和忍辱の心これなり」と説かれているのです。
 
心は相(姿)に現れ、また逆に相は心に影響をあたえます。
衣を纏ってないときでも心に柔和忍辱(耐え忍ぶ)の衣を纏とっているのが、
法華経を説くものの心構えであり、じつはこの衣の具現化が現在の日蓮宗の法衣です。
 
ここで衣を着ているとき着ていないときは何が違うのか?
疑問に思います。
これは法を聞く人のレベルによってかえているからです。
法華経には、長者窮子喩に長者(お金持ち)が教えに導くために
使用人に扮してあえてみすぼらしい姿を現し教えを説く場面があります。
これはTPOに応じて人が受け入れやすい恰好があることを示しています。
これと同じで法衣を着たほうが教えを素直に受け入れれる場合もあれば、逆もまたしかりであります。
 
現れ方は違いますが心は常に衣を纏ってるというのがここの意味であります。
 

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