小松原法難750年前会法要

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

小松原法難とは・・・文永元年11月11日花房蓮華寺にご滞在中の日蓮大聖人は天津領主工藤吉隆公の招きに応じ、10人ほどの弟子信者をお供に東条小松原をとおりかかりました。
 そこへ以前より大聖人を嫉んでいた当地の地頭東条景信一味が武装し、一行を襲撃しました。突然の奇襲になすすべもなく、弟子の鏡忍坊と知らせを聞いて駆け付けた吉隆公は討死してしまい、大聖人も頭部に傷を受け腕を砕かれてしまいました。しかし不思議なことに傍らにある大きな槙の木に法華経の守護神「鬼子母神」が現れ、景信の軍勢を追い払い、大聖人の危うきを救ったのでした。
この事件を「小松原法難」と称します。
日蓮大聖人は、その後も自らの命を惜しまずお釈迦様の説かれた最高の教え法華経
南無妙法蓮華経を弘められました。
今回の法要は、日蓮大聖人と工藤吉隆公の子供である日隆との問答が新鮮な試みで良かったですよ。
信徒さんには、講談がなかなかの評判でとても分かりやすくて良かった~とニコニコして言ってくださいました。

この記事は最終更新日から1年以上経過しています。
記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。

一覧へ