⑩御草庵跡
石造の玉垣に囲まれた十間四面の正方形の苔むす地こそ、日蓮聖人が9年間ご生活された場所です。
日蓮聖人は、法華経の読誦とお題目の唱題といったご生活の中で、弟子の育成や信徒の教化に努め、曼荼羅本尊・著作のほとんどをこの地で執筆されています。
日蓮聖人滅後、時代とともに発展を遂げた身延山久遠寺は、室町時代に入り、行学院日朝上人が身延山第11世法主になると伽藍が大幅に移動しました。御草庵跡から現在の本堂域にある場所におもな堂宇が移転されました。
日蓮聖人ご生活の御草庵跡、霊山浄土感得の霊域、身延山久遠寺発祥の聖地なればこそ、保護し守られ続けています。
かたわらには、身延山第78世日良上人によって識された「御草庵旧跡修理の記」の碑石も立っています。
⑪法界堂
日蓮聖人の御草庵のおもむきを今に伝えるために、その形を模写・縮小しながら建造したもので、聖人ご在山のご生活を偲ぶ手がかりとしています。
⑫雫の桜
身延山に隣接する下山郷に住んでいた因幡房(いなばぼう)は、噂に聞いた日蓮聖人の教えをひそかに聞きたいと、夜毎に御草庵を訪問し、そばの桜の木の陰に身を潜めては、外に漏れる聖人の説法を聴聞しました。
説法を聴聞するために、時に夜が更けるのを忘れた因幡房の衣は、その桜に宿った雫で、びしょ濡れになっていたところから、その桜は雫の桜と呼ばれるようになり、代を重ねた桜が今に伝わっています。
聖人の弟子となった因幡房は、念仏を堅く信ずる父・下山五郎光基(みつもと)に嫌われながらも、聖人のねんごろな導きをうけて事なきを得、父もやがて聖人の教えに帰依したのであります。
聖人のあつい教化も偲ばれます。
⑬納骨塔⑭教師廟⑮護国英霊供養塔⑯日蓮宗海外開教先師・納骨塔・顕彰碑
納骨塔・身延山教師廟は、いずれも常唱殿の対面にあります。
日蓮聖人の信徒・富木公の母の納骨に始まる身延山への納骨は、その直後にやはり日蓮聖人の信徒・阿仏坊の納骨があり、以降、身延山への納骨は時代とともに盛んとなり、その希望は広く国内外におよんでいます。その納骨を埋納合葬して供養するところが納骨塔です。
その右隣りにあるのが、身延山に納められた日蓮宗教師の納骨を埋納合葬して供養する身延山教師廟です。
また、左下方には、海外開教に貢献した日蓮宗海外開教先師顕彰碑や納骨塔、護国英霊供養塔もあり、いずれも納骨塔・身延山教師廟とともに日々の供養がおこなわれています。
護国英霊供養塔のかたわらには、吉田茂の「いさましは 高し東亜の たたかいに 国にささげし みたまやすかれ」という弔悼慰霊の歌碑もあります。