立正安国・お題目結縁運動 いのちに合掌

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凛とした空気に包まれる身延山久遠寺草創の聖地

身延山久遠寺 御廟法務所

【Minobusan Kuonji Gobyo Houmusho】

〒409ー2524 山梨県南巨摩郡身延町身延3628

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身延山御廟所案内~②~

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⑦歴代墓所

祖廟に向かって右側の奥にあり、第二祖・佐渡阿闍梨日向上人以来の身延山久遠寺歴代住職(法主)の御墓があります。
日蓮聖人滅後、祖廟格護の身延山は、聖人の本弟子6人(六老僧)を中心とする毎月交替の輪番制によって守られてきましたが、聖人7回忌を機に住職制が敷かれることとなり、本弟子の一人である日向上人が選ばれ住職となりました。
以来、日蓮聖人を開祖に仰いで日向上人が二祖となり、脈々と受け継がれ現代に至っています。


左から南部(波木井)実長公、阿仏坊日得上人、富木常忍公の母・常日尼、白蓮阿闍梨日興上人の納骨塔・供養塔


⑧直弟子・直檀・六老僧廟

祖廟に向かって左側の奥にあり、白蓮阿闍梨日興上人、南部(波木井)実長公、阿仏坊日得上人、富木常忍公の母・常日尼の4人の納骨塔・供養塔があります。
さらにその左側に本弟子六老僧、弁阿闍梨日昭上人、大国阿闍梨日朗上人、佐渡阿闍梨日向上人、白蓮阿闍梨日興上人、伊与阿闍梨日頂上人、蓮華阿闍梨日持上人の供養塔があります。、
直弟子とは、聖人より直接おしえをうけた弟子のこと、直檀とは、おなじく直におしえをうけた檀越すなわち信徒のことです。
白蓮阿闍梨日興上人は、佐渡阿闍梨日向上人とおなじく聖人の本弟子6人の一人に選ばれた高弟で、地元の甲斐・駿河に生まれ育った地縁もあって、よく輪番に努めて祖廟格護の身延山の護持にあたりました。
南部公は、聖人を身延山に招いて支援につとめ、後には身延全山を寄進して久遠寺発展の基を開きましたので、身延山開基大檀那として敬われております。
富木公は、聖人の最も初期からの信頼された信徒であります。亡き母の遺骨を首にかけて下総の国若宮(千葉県市川市中山)の自邸より身延山に登り、聖人の回向を受けるべく、遺骨をここに葬りました。これが身延山納骨の始まりであります。
阿仏坊は佐渡の人。流罪に処せられた聖人の教化にあずかって改信し、以来、聖人の流人生活を助け、聖人が身延に入ると遠路をいとわず、年老いても3度も聖人を訪れたほどの純情一徹な篤信者で、3度目の登山はなんと90歳であったといわれています。
没後、その遺骨は息子・藤九郎守綱の首にかけられて身延山に登り、その願いのごとく、恋い焦がれた日蓮聖人のお側に、とこしえに眠ることになりました。


左から会津保科正之の母 浄光院、丹後宮津京極高国の母 寿光院
水戸光圀の母 久昌院、徳川家康の側室養珠院の供養墓碑


寿応院供養墓碑
⑨篤信廟

直弟子直檀廟の左側一帯にあり、篤信丹精者の供養墓碑が並んでいます。
徳川家康の側室で、熱心な信徒であった養珠院、黄門の名で親しまれる水戸徳川光圀の母・久昌院、丹後国宮津藩3代藩主京極高国の母・寿光院、陸奥国会津藩初代藩主の保科正之の母・浄光院、加賀百万石の祖前田利家の室・寿福院、下野壬生藩2代藩主三浦安次の母であり総門を寄進した・寿応院などで、その大きな墓碑に、権勢と身延山への丹精のほどが偲ばれます。

 

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