LINE法話「何苦楚」

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おはようございます。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

冬の寒さというのは、身体で感じることは勿論、心でもその寒さを感じるという方もいらっしゃいます。
特に今が苦しい、辛い、そんな思いの中、日々を過ごされている方にとっては、堪える寒さかもしれません。

皆さんは中西太さんという方をご存じでしょうか。
元プロ野球選手で、西鉄ライオンズ現在の西武ライオンズのスター選手でした。様々な打撃タイトルを獲得、そして選手としてだけでなく、監督としてもリーグ優勝を果たし、更に打撃コーチとして後進の育成にもその辣腕を発揮して名伯楽と呼ばれました。

そんな中西さんは「何苦楚」(なにくそ)という言葉を座右の銘にしていたことが有名です。「何苦楚」なにやら言葉の響きはあまり綺麗ではありませんが、何事も苦しいときの経験が基礎になる、という意味のお言葉のようです。

皆様は、スランプという言葉をご存じかと思います。スポーツの世界ではそれまで活躍していた選手が、急に成績を落としたりすることを表現して使われることが多いですが、このスランプというのは誰しも経験し得ることだそうです。
何か新しいことを始めたときはメキメキと上達していきますが、どこかで頭打ちになり成長が停滞してしまう。これがスランプの状態ですが、その状態でも諦めず続けていくと、やがてまた伸びていくそうでございます。そのスランプを脱する期間は人それぞれで、大抵の人が途中で諦めてしまうそうです。

皆さんもこれまでを振り返ってみて、途中までうまく出来ていたのに、あるとき急にうまく出来なくなった、上達しなくなってやめてしまった、なんて経験はございませんか?そのまま続けていたらまた上達していたかもしれません。

日蓮聖人は「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬はかならず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を」と仰っています。法華経を信じる人は冬の厳しい寒さの中にいるようなものである。しかし、冬の次には必ず暖かな春となります、決して冬が秋に逆戻りすることはありません。法華経を信じている人もまたそのように、次第に希望が開けてくるものなのです。

日蓮聖人の御生涯は大難四ヶ度、小難数知れずという苦難の連続でございました。しかしながら、日蓮聖人はその苦難の中、法華経信仰の希望を説き続けられました。
苦しいときはそれがいつか実るときを「何苦楚」の心持ちで、そして冬が春となる日を信じてお題目をお唱えして参りましょう。

それでは皆さん、今日一日もどうかお元気で。いってらっしゃいませ。

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